さて、記事投稿が1日空いてしまいましたが、今日も一つ更新をします。
私N島は自分が所属する組織というのはかなり重要だと最近思います。
と言いますのも、営業の私N島は元々はコミュニケーション能力がかなり低い人間でした。
何故、人と話していても面白くないのか?
何故、人も私と居て楽しくなさそうなのか?
薄っすらと空気は感じ取っても、原因は不明でした。
何が悪いのだろうか?と考えても分かりません。
何故なら、私は自分がコミュニケーション障害レベルのコミュニケーション能力しかない事に気が付いていなかったから。
そう、これは重要で、論語に「過ちて改めざる、これを過ちという」という言葉があります。
間違っていても修正をしない、これが本当の過ちだと言う話です。
ところが、過ちて気づかず
これは間違っていることにすら気が付かないと言う事です。
気が付かない以上、改めようがありません。
この状況はかなり致命的で不利な状態に居続けながら、それを認識できないと言う状態です。
じゃあ、その状況を気づくためにはどうしたらいいか?
それが自分が誤っていることを察することができる組織に所属する事です。
私はたまたま幸運で、前職でトップ営業の方々に接する機会が多かったため、彼らのコミュニケーション能力の高さを知り、自分との比較ができ、自分のコミュニケーション能力が低い事を認識できました。
自分との違いは何かを考える事で、コミュニケーション能力の高い人は皆会話の主体が自分ではなく相手を主体にしていることに気づきました。
人が一番興味がある事は自分自身の事です。
つまり、言い換えれば自分から見た相手が相手にとって興味のある対象です。
私はそれを30年間気づきませんでした。
何故か?
それは私自身がコミュニケーション能力の高い組織に属していなかったからです。
恐ろしい事に、今思えば私の両親はコミュニケーション障害レベルにコミュニケーションの力が低いです。
結果どうなるか?
私は、コミュニケーション能力の低い両親に育てられることにより、コミュニケーション能力の低い会話が普通であり、常識であり、正しい日常でした。
そのため、コミュニケーション能力の低い人になるための英才教育を受けるのに等しくなります。
結果、自分が気づかぬまま、コミュ障の教育を受け、コミュ障のエリートになっていたのです。
それは自然と刷り込まれた事であり、たまたま私が良く接する組織の家族がそうだったからそうなりました。
逆に、両親のコミュニケーション能力が高く、それが普通であれば私も自然とそうなっていたと思われます。
少し前の秦の始皇帝の右腕だった李斯の便所のねずみの話を思い出します。
今は漫画のキングダムが流行しているため、逸話として出てくるかもしれませんが・・・・
我々から見た時、ネズミの個体差と言いますか、能力差はあると思えるでしょうか?
厳密に言えば警戒心が強い長生きしているねずみは優秀かもしれませんが・・・
それでも他のねずみとの差は微々たる差だと思います。
どれだけ優秀なネズミであってもきっとロケットは作れません。
火も起こせないでしょうし、棒を道具として使う事もないでしょう。
発明もしないと思います。
そのくらいネズミには人から見た場合差はないと思います。
ネズミ同士に言うほどの差はない。
ところが、米蔵に住むネズミは人が蓄えた米を堂々と食べ、丸々と太っていてふてぶてしいにもかかわらず・・・・
便所に住むネズミは人の気配に怯えながらやせ細り、人の排泄物を餌にしております。
このネズミの違いは何でしょうか?
それはいる場所です。
人も同様に、所属する会社、組織によって大きく変わりますし、自分が属する組織の影響をもろに受けます。
なので、良い組織に属することは重要でそこにいると自分が自然と成長できますが、そうじゃない組織に属すると自然と負の教育を刷り込まれます。
なので良い組織に積極的に属すべきだと私は思いますが、どうやったらその組織に入れるか?
それは積極的に人に会い、自分が本物だと思う人同士をマッチングさせることなんじゃないかと思います。
マッチングが上手くいけば人の返礼の法則に基づいて、自分にも何か返さなきゃと言う意識が働き正のスパイラルが生まれます。
そうすることでネットワークも広がりますし、上手くいけば自分の代わりに自分を営業してくる人を増やしてくれるかもしれません。
タリーズの創業者の松田氏も幸運は他人が運ぶものと言っております。
これは事実で、いい話なども何かに触れて情報を得ることで発生したりしますが、新たなインプットがない限り新たな発想やアウトプットは起こりえません。
問題の根本は知らない事に原因があると私は思っており、情報を得ると言う事は問題解決方法や対処法を得る可能性があり重要だと思います。
そして、個人的に人と会うこと自体が意図せぬハイクオリティの情報収集になったりする期待値が高い行為だと思っております。
そんなわけで、先日埼玉のこれはと思う人を私に客を紹介してくれた人に紹介しました。
その当事者間で仕事が成立したため、両方から私はお客さんの紹介を受けました。
やはりこれだよなと思いましたが、その輪にこれだと思う人をさらに追加すれば、上手くいけば3者から紹介を受ける事ができます。
そういった一見自分にメリットの無いマッチングを時間を使って無償で提供することで、自分発のGIVEが利子をつけて返ってくるのではないか。
最近はそう感じることが多いです。
積極的に無償のGIVEをしよう。
それが何倍にもなって自然と返ってくると私は思っており、利他の精神がない人は営業で売れないと思っております。
何かこの人の役に立つ事はないか?
常に意識しておくと、ハズキルーペよりも世界は広がるかもしれない。
最近そう思っております。
自分の紹介する人がいい人だったら、自分もそういういい人と付き合っている人と信用が生まれます。
信用がなければそもそも話も聞いてもらえないのですから、マッチングを行いましょう。
自分の最高レベルのフィルターにかけた人同士を。
何かGIVEできないか。
ケネディ大統領の就任演説はこれは国や国民だけの話ではない。
私とあなたレベルの話だ。
原文を引用すれば
国民諸君よ。国家が諸君のために何ができるかを問わないで欲しい。
諸君が国家のために何ができるのかを問うて欲しい。
あなたと私に置き換えれば・・・・
私よ、あなたが私のために何ができるかを問うべきじゃない。
私があなたのために何ができるかを考えるべきだと。
眠いながら推敲無しで記載しましたが、積極的にマッチングをしていきたいとお客さんの紹介を2者から受け再認識させられました。
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