緩さの必要性

N島

さて、T本さんも記事を更新し始めたので私もバリバリ対抗意識を燃やしての記事投稿を行おうと思っています。

お酒をお飲みになるとお乱れになる某御方を除けば私もほぼほぼ最年長。

このトップ営業の会も若い世代の方が多いので、年長としてのアウトプットをし、多少なりともどなたかにとって得る物があればいいなと思います。

ということで早速土曜日にスパで一人ビール飲みながらこれを書こうと思った記事を一つ。

これも私がネットで知り合った人から学んだことですが、組織においてある程度の「緩さ」は必要だと思っております。

組織がギチギチすぎると所属する人は疲弊してしまいますし、そもそも人間は「やらされる事」が嫌いです。

主体的に「やる」ことに対してはモチベーションも上がりますし、自分がやると決めたので責任感もあるし、行動も起こします。

ところがやらされる事に、意味がないとか感じると途端に人は「やる気」を失います。

例えば、多分ですが月収100万だったとしても、仕事内容が知らされないで始めたとして・・・・

いきなり一日中砂漠の真ん中で8時間ただただ立っていることをやらされたらどう思うでしょうか?

何の意味があるとか思うでしょうし、それを自発的に取り組めるとも思えません。

収入が高くてもそんな仕事言われた通りにしないでしょうし、辞めはしないでしょうか?

リアルに頭の中に映像化して想像していただきたいのですが・・・

ジリジリと日差しが降り注ぐ砂漠に水飲んでトイレ行ってもいいけれども、携帯機器などは取り上げられただ立っていろと言われ延々8時間立っている。

それを一か月間続ける。

私は多分その仕事受けれません。

自分の命(時間)につける価格は人によって違うとは思いますが、1か月間分の命を無駄に捨てさせられる対価としては100万円は安いんじゃないかと私は思ってしまいます。

これも、水を汲みに行く仕事の一つになってしまいますし。

無意味な事に自分の命を削らされていること、それを命の細切れである時間を使わされてやらされる事に人はやる気を起こせないと思います。

T本さんも昨日の記事に書いてありましたが、人生とは1秒の大きな集合体で成り立っています。

そのため、結果を出している人ほどそれをちゃんと認識しており、時間を大事にしています。

逆に時間を大事にしない人で私の視点では「凄い」と思えるような人を見た事がありません。

それに気づいてから私が最も嫌いな言葉が「暇つぶし」になってしまいましたが。

人生は何事をもなさぬにはあまりに長いが何事かをなすにはあまりに短い

上記は有名な格言の一つで大正生まれの作家中島敦の代表作『山月記』の主人公の言葉です。

と寄り道マイスターとしてまた本筋からずれてしまいましたが・・・・

ということで、そもそも主体的、自発的にやる事以外よい成果は出ないと私は思っています。

では主体的にとか自主的にとはどういう状況で起こり得るか?

強制的な「やらされている事」の連続中の人は嫌々やりつづけているのでどんどんモチベーションが低下していき、基本的に何もしたくないと思ってしまいます。

そして、より「こなすだけ」の何もしようとしない人が出来上がります。

だからこそ、強制は無意味だと私は思ってしまいます。

そのためには自分で考える時間ができる「緩さ」が必要なのだと。

そういえば、組織の長は基本的に「許す」ことの連続が求められます。

逆に許せない人間は相手からも許されずどんどん協力を得られなくなっていきます。

これもネットで知り合ったマネージャー達の考え方から私が学んだことですが。

ユルという二文字は組織に必要な言葉なのかもしれませんと、今思い付きで記載してしまいましたが、組織において上下関係があったら上の人間の役割は許し続ける事しかないかもしれません。

そして、それを証明した会社が有名な「未来工業社」です。

この会社は何度もマスコミにも取り上げられている社員が日本で一番幸せな会社と呼ばれています。

記事のリンクを貼ります。

楽園企業は「改善提案」だけで25万円もくれる
未来工業は「日本一“社員”が幸せな楽園企業」として有名だが、その本社内を歩くと、「ユニークなアイデア」がいろいろと発見できる。すぐ目につくのは、社員の名札が付けられた「蛍光灯の引きひも式スイッチ」や…

こちらの社長は本も記載しており、『山田昭男の仕事も人生も面白くなる働き方バイブル』という本はまだ読んでいませんがアマゾンプライムにあれば読んでみたい本の一つです。

これは私の営業の考え方と同じで、GIVE&GIVE&GIVEだそうです。

この会社ではGIVEをモチと読んでいるようですが。

餅とモチベーションをかけていると思わされます。

最初はまるで上手くいかなく、焦れったかったと思うのですが、この社長はその状況を許し続けたのではないでしょうか。

新約聖書における「与えよ、さらば与えられん」という言葉もあります。

逆説的に考えると、奪うと奪われるということです。

分っていてもなかなか実行できる事ではありませんが、聖書の時代から言われていることなので、真理の一つなのかもしれません。

そう考えると「緩さ」も「許し」も必要なのではないでしょうか。

与えるもののように感じますし。

そういえば最後にこれまた余談ですが、日本一社員が幸せな会社で思い出したのですが、じゃあ何が幸福なのだろうかと。

私なりに回答は一つ持っておりまして、人の幸福とは前に進んでいるという感覚「前進感」にあるんじゃないかと思うのです。

だから逆に現状維持や、踏みとどまっている、滞っている、後退している感覚の状態は不幸に感じるんじゃないかと。

現状で前に進んでいる感覚がないとしたら苦しいんじゃないかと私は思います。

自分の命(時間)が無為に失われていくのですから。

逆にT本さんの記事にあった「楽しい」という感覚は、T本さんのこうしたいという目標に向かって前進している感覚があるからではないでしょうか。

日本一の出世頭「豊臣秀吉」はきっと幸福だったと思います。

何しろ、農民の子から天下人になったのですから。

毎日、毎日進んでいる感覚があって楽しかったんじゃないかと。

私を含め今自分がやっていること、何か前に進んでいる前進感はあるでしょうか?

ないとしたらずっと苦しいかもしれません。

といってもこれは私N島の視点なのでもちろん違う感覚はあると思います。

ただ、こんな考え方もあると参考にしていただければと思います。

前進感を求めたい。

そう思っています。

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