【読書】チーズはどこへ消えた?1部

T本

私が読んだ本を紹介します。
これは、20年前のビジネス書であり、今も尚、書店に並べられているベストセラーです。

人生に迷ったとき、悩んだとき、一歩踏出そうとするとき、すべての人の灯台のあかりとなるとおもいます。私は読書するとメモをとります。簡単にまとめたのでぜひ読んでみてください。

■チーズはどこへ消えた?
人生は自由にまっすぐな廊下てはなく、通るものにとっては道に迷い、自分で探さなくてはならない時もある。しかし、信念があれば必ず道は開ける。思っていたような道ではないかもしれないが
やがては良かったと思える道が。

1.私たち皆んなが持っているもの、単純さと複雑さ
物語には二人の小人、二匹のネズミ、チーズがでてくる。このチーズは自分が求めるもの。
仕事、健康、自由、恋人、お金、家、他者から認められることを表す。
私たちは皆自分にとってのチーズを心に抱いており
手に入れば幸せになれると信じて追い求める。
手に入るとそれに執着し、無くしたり奪われたりすると大きなショックを受ける。
迷路はチーズを追い求める場所を表しており
会社、地域社会、家庭かもしれない。
物語では、
ネズミは単純な物の見方をするため、変化が起きた時に柔軟にうまく対処する。
小人は人間らしい複雑な感情で物事を複雑にしているのがわかる。

変化とは何かを失うのではなくて、何かを得ること

本編‐
チーズはどこへ消えた?

ネズミは単純な脳だが、優れた本能を持っており、大好きな硬いガリガリかじれるチーズを探していた。
小人はいろいろな考えがいっぱい詰まった頭を使って、まったく別のチーズを探していた。真のチーズを探していた。見つけられれば幸せになり、成功を味わうことができると信じていた。
迷路は複雑だか、どこかにかならずチーズはある。

ネズミは単純な頭しかないため、試行錯誤をしながら行き止まりなら引き返し、また別の道に行くなどを繰り返した。そして何もなかった道は覚えておいて、常に嗅覚と行動で新しい道をさがしたが、案の定道に迷った。

小人は過去の記憶と経験から得た教訓と思考で
もっと高度な方法を作り上げた。
うまくいくこともあったが、人間の信念と感情がものの見方を鈍らせることもあり、迷路の中で生き抜くのがいっそう難しくなった。

それでも双方、ステーションCで好みのチーズを探すことに成功した。
その後、ネズミは毎朝早く起きていつも通り、同じ時間、同じ道で通った。
小人も最初は早起きして、目的チーズに向かいチーズを味わっていたが、そのうち遅く起きゆっくり準備をするようになった。チーズの場所も道も分かっている。
ただ、誰が置いたかなぜそこにあるのか分からなかった。ただそこにあるのが当然だと思っていた。
小人たちはチーズの量とうまくいったことに喜び、安泰だと思った。小人たちはそのうちにチーズは自分たちのものだと思い、近くに引っ越して社会生活を始めた。
二人は友達にちチーズを自慢し、ここにたどり着くまで大変だった、実際長いことしっかりと働いたと自分たちを評価して、またチーズをひとつまみ口にいれた。
ふたりは毎晩チーズをおなかいっぱい食べて、よたよたしながら家に帰り、毎朝自信満々でまたチーズを食べに出かけるという日課がしばらく続いた。
やがてふたりは慢心し、安心しきっているうちに何か変化ぎ起きていることに気づきもしなかった。

一方二匹のネズミは毎朝同じ日課をたどった。
ステーションCに着くと周りを引っかき、走り回り、何か変わったことはないか調べ、それからゆっくりとチーズをかじった。
ところがある朝、チーズがなくなっていた。
しかし、二匹のネズミは驚かなかった。
置いてあるチーズが少なくなっているのを分かっていたし、いずれなくなるだろうと覚悟していたし、どうすかいいか本能でわかっていた。
ネズミたちはなぜなくなったか、分析はしなかった。彼らにとっては問題も答えもはっきりわかっていた。だから自分たちも変わることにした。
ネズミたちは新しいチーズを探しに出かけたのである。
同じ日、ふたりの小人がチーズを食べにやってきた。ふたりはチーズの変化に気づかず、当然あるものだと思っていた。ふたりには青天の霹靂だった。
こんなことがあっていいわけない、あるはずがないとチーズが無いことに驚きを隠せず叫びまくった。
事態を飲み込めず、目と耳を塞いだ。どうにかしようという気にもならなかった。
チーズを見つけることは簡単ではなかったし、チーズを見つけることは、幸せになることの条件だった。人はチーズを見つけることは、物質的に、精神的に、健康的に豊かになることだった。
二人の小人にとっては、愛する家族を持つことであり、一等地に家を持つことであり、人の上に立つ有力者であることだった。

二人の小人は長い時間考えた結果、どうしたかというと本当にステーションCからチーずがなくなったか、調べることだった。
ふたりはチーズを基に人生設計をしていたこともあり、ひどく落ち込んだ。そのとき壁に書いた言葉はこうだ 「人はチーズが大事であればあるほどそれにしがみつきたくなる」

小人は家を出て、再びチーズのあった場所へ向かった。もしかしたらチーズがあるかもしれないとまだ期待していた。しかしチーズはなく、二人は途方にくれた。そしてチーズはどこかにもってかれたの、だといった。小人は分析し、目をあけ、周りをよく見渡し二匹のネズミがいないことに気づいた。
ネズミは何か知ってるのではないか?
何を知ってるんだと嘲笑った。
あいつらはただのネズミだ、こっちのほうが利口でこの事態を解明できるといった。
一人の小人がいった。
たしかに利口だか、今のところ何一つ利口なことはできていないようだ。事態は変化している、我々も、変わらなければいけないのではないか?
もう一人の小人が言った。
なぜ我々が変わらなければならない?
我々は特別だ、チーズは我々の権利だ、ほかの誰かのせいなんだから、我々がこうなったことで何かもらうべきだ。
もう一人の小人がいった。
分析わやめて、そろそろ新しいチーズを探しにいかないか?

そうこうしているうちに二匹のネズミは着々と進み、道を探しては戻りを繰り返して新しいチーズステーションを探すことしか頭になかった。
しばらくは何もなかったが
やがて新しいチーズステーションNを見つけて大喜びした。

一部終了。

ほとんどは本の通りに近いですが、私が簡単にまとめたもとです。
ネズミと小人、動物と人間、複雑とシンプル、私たち会社で働く人のほとんどは「小人」ではないでしょうか?
頭が良すぎるからこそ、机上の空論になってしまうのか、今までの価値観を捨てられないのか。三歳児のように本能のまま動き、失敗と成功を繰り返すのか。私はチーズを当時の介護有料老人ホームの会社がぴったりとあてはまりました。チーズはなくならないが、いつかなくなるそんな気がしたことから「行動」し始めました。変わることに恐怖する人は世の中にたくさんいます。私は営業が好きですが、生きるために捨てなければならないのであれば、時代とともにそうすることもあると思っています。

続きは2部で!

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