人は本質を見ない

N島

さて、プロの酔っ払いとして自宅でビームハイボール飲んでます。

喉痛いし、体調不良なのですが、敬虔な泥酔教徒として教義を唱えながらの記事投稿

酔えよ、さらば救われる

救われまくっています。

ついでに足元も掬われているかもしれません。

ただ、酔っぱらっていても文章は書けると、できない理由を否定するためにナウキーボードを打っています。

さて、タイトルですが、ちょっと前に記載した通り、これはおススメの超簡単だけれども真実が書いてある本の著者「銀座まるかんの社長斎藤ひとり氏」の言葉から派生して考えております。

私は斎藤一人氏はおススメです。

物凄く簡単な小学生向けの本と言ってもおかしくはないかもしれません。

ただ正直、以前の私は何度読んでも何言ってるのか理解できませんでした。

でも、偉人の発想を理解できないからこそ自分が凡人なのです。

結果を起点に考えるようになってから、斎藤一人氏は何十年も納税額日本一を続けておりますし、実際に富裕層です。

人気漢方の痩せ薬「スリムドカン」で有名なのですが、これが詐欺だと雑誌に叩かれた時の結果を見て、私は斎藤ひとり氏を本物だと思っています。

というのも、斎藤一人氏の痩せ薬「スリムドカン」が効果がない詐欺会社だと、ある時、有名になりたいライターが炎上させようと叩くに叩き続けたのです。

私はその結果がどうなるか、物凄く興味深かったのを覚えております。

その結果、その記者はこれでもかといろんなユーザーの声を集めて連日斎藤ひとり氏を叩いておりました。

そして他の雑誌会社もそれに乗ってこぞって斎藤一人氏を叩く記事を掲載しました。

私は斎藤一人氏がこの記者や出版社を提訴したり、裁判を起こすと思っていました。

ところが、斎藤一人氏は何もしませんでした。

今現在のご時勢ではこれに乗って炎上するところです。

最近だとお笑いの宮迫が闇営業で叩かれていますが、一般的な正義という御旗を手に入れると、自分も叩けば埃が出る事は棚に上げて、その一般的な正義の御旗を振りかざし、正義という名のもと集団私刑に参加する人が増えているなと私は感じます。

こういう人たちは、いざ自分が叩かれる側になった時、社会的ステイタスから何からなにまで根こそぎ持っていかれることに対して覚悟を持っていてやっているのだろうかと私は疑問を感じるのですが・・・

自分も他人に対してやったんだから、自分が叩かれる時はすべてを失って無敵の人になっても仕方がないと思える人ならいいですが、そうじゃないのに他人を許さない最近の社会に異様さを個人的には感じています。

自分が空缶を道端に捨てただけですべて失う覚悟がある方なら、好きなだけ他人を叩いてもいいと思うけれども、小さなことを自分だけ許してもらおうなんて甘い考えは捨てるべきだと思うのですよね。

人を追い詰める以上、自分も追い詰められる覚悟があるならフェアだと思いますが。

昔、私は自分のブログで東日本大震災が起きた後にパチンコを打ちに行った記事を記載したら、東北の人の事を何も考えていないと叩かれました。

不謹慎だと、魔女狩りのような不謹慎狩りにあったことを覚えています。

確かに、当時東北の方は大変だったと思いますが、関東のパチンコ屋さんの店員さんにも家族がいて本人たちも働いています。

遊ぶことで彼らの雇用を守っている一面もあると私は思うのですが、他地域の他の方が苦しんでいるのに遊ぶのは何事か不謹慎だと叩かれました。

では、被災者を気遣って自粛し、雇用されている人達の仕事を奪う事は本当に正しい事なんだろうかと、その人達もその家族も生活があるのに、それが自粛による意図的に発生する不幸の連鎖は不謹慎にはならないのかと、数の暴力と言いますか、被害者の正義の御旗に違和感を感じた記憶があります。

しかもパチンコ屋さんも東日本大震災向けに募金活動していましたし・・・

物事は一面だけではなく、多角的に見るべきだと思いますし、許さない社会になりつつあると息苦しい住みにくい世の中だなと夏目漱石のような文言が頭に浮かびます。

とまた余談マニアとして余談を記載してしまいましたが。

そう、斎藤ひとり氏です。

この方は叩かれまくっていたのに、何もしなかったのです。

私はどんどん炎上していき、斎藤一人氏ももう終わりだなと思っていました。

ところが・・・・

何も事件は起きないまま、急速に斎藤ひとり氏を叩く記事が出なくなりました。

???

私は疑問しかわきませんでした。

誰かが反論したとか、裁判になったとかではないのです。

記者や複数の出版社の謝罪文もありません。

ある日突然、なかったことになったのです。

どういうことか?

おそらくですが、力のある方が勝手に斎藤ひとり氏のために、あの人はそんな詐欺を働くような人じゃないからと本人の意思に関係なく、記者や出版社に対して多方面からそんな記事を書く事を止めろと圧力がかかったのだと思うのです。

本人が圧力をかけたらより炎上するところを、本人は何もせず、周りが勝手に斎藤ひとり氏のために動いて行動し、記者に記事を止めさせたのです。

これは凄い結果だなと私は思いました。

そのため、その結果を見ても斎藤ひとり氏は本物だと私は思っています。

その斎藤ひとり氏の言葉に自己重要感という言葉があります。

これは、人は皆プライドと言いますか、自己重要感を持っており、人はこれを傷つける人を嫌いで、満たしてくれる人を好きだと言います。

世の中はこの人の自己重要感を否定する人間が多く、これが満たされるとなんでも協力したくなるように人はなるそうです。

ここで再度余談マニアとして余談です。

自己重要感と似ているなと思う話が、中国の史記に記載されている豫譲(よじょう)という方の話です。

有名な言葉で私の子供の頃はよく聞いた言葉でした。

それが、「士は己を知る者のために死す」です。

原文は「士は己を知る者のために死し、女はおのれを喜ぶ者のために容づくる」

意味は「漢は自分を分かってくれる者(自分の能力を認めてくれる者)のために命を賭す、女は自分を寵愛してくれる者の為に化粧する。」

詳細を知りたい方はネットでマズローや豫譲を検索すると面白いかもしれません。

マズローの5段階欲求の4段階目、承認の欲求に飢えている人が多いと言う話かもしれませんね。

だから斎藤一人氏の自己重要感という話はスッと入ってくるのかもしれません。

逆に言うと自己という言葉にあるように、人は基本的に一番興味があるのが自分の事で、他人の事は二の次、三の次です。

つまり、自己重要感が第一であるからこそ他人の本質などには興味はなく、そんなものは見ようとしないのです。

だから、より結果になります。

本質的に優れていれば結果は出る物ですし、結果が出ているかどうかは誰が見ても分かりやすいです。

そう考えると、人は人を分かりやすい結果からしか判断しないとも言えるかもしれません。

例えばなんですが、有名な戦国武将織田信長が桶狭間の戦いで負けていたらどうなっていたでしょうか。

織田信長は桶狭間の戦いで寡兵で大軍を打ち破り結果を出したので優れた歴史上の人物になっています。

ところが、本質的にどれだけ優れていようと、桶狭間で織田信長が破れていたら信長の野望というゲームはなかったでしょうし、あったとしても違う名前でゲーム上の織田信長の能力はうつけレベルの酷い能力値になっていたでしょう。

本質的にはとても賢い優秀な人だったとしても。

つまり、人は余程興味がない限り人の本質を見る事はなく、分かりやすい結果から判断すると言う事になります。

その一つが見た目印象になりますので、綺麗な格好をするというのは重要な要素の一つだと私も思います。

その織田信長ですが、桶狭間の戦いまで2つの唄を好んだと言います。

一つが敦盛で、桶狭間の戦いの出陣前にも舞ったそうです。

人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか

もう一つが忍者の小唄と呼ばれています。

死のうは一定、しのび草には何をしよぞ、一定かたりをこすよの

どちらも死生観の話になるのですが、個人的には覚悟の話だと思っております。。

最初の敦盛の方ですが、こちらは一度生まれて滅ばぬ人間などいるだろうか?いやいないという反語表現になっております。

つまり人は必ず死ぬ

そしてもう一つの「死のうは一定」ですが

これは死ぬことは決まっている。

結果的に人はいつか必ず死ぬのだと。

つまり、死ぬという結果は決まっている以上死ぬまでにどう生きるかという話になります。

桶狭間の戦いに際に織田信長は好きな事をしようと、自由になろうと覚悟を持ったのです。

だからこそ、論理的に自分を何度も説得します

死なない人間などいない、死ぬことは決まっていると。

長短の差こそあれ、死ぬという結果は同じだと。

だから恐れるべきは死そのものではなく、自分のどう生きたいかを否定する事なのだ。

そこで勝ち目の薄い死ぬ確率の高い勝負に挑んで、人事を尽くし運が味方したまたま生き残れたのと言う事です。

織田信長自身もかなりの確率で死を覚悟していたが、そこで納得のいかない生を選んでも意味がないと思い、しかし一度きりの人生の、時間の長短の差こそあれ、結果は1つに決まっていると覚悟を持って臨んだと言う事だと思います。

その結果、この合戦に勝利しました。

しかし、桶狭間の戦い以降、織田信長は一度も乾坤一擲の合戦はしておりませんし、死のうは一定を唄う事もや敦盛を舞う事もめっきり減ったと聞きます。

その一戦の覚悟のためだけだったということなのでしょう。

さて、この事は今の我々にも言えます。

人生一度きりで、死ぬことは決まっています。

そして滅せぬ者など存在しません。

いつか起きる結果は変わらないのですから、今をどう生きるか。

好きな事をしない理由はあるでしょうか。

ないと分っていてもまだ覚悟が足りない私はサラリーマンしておりますが。

ただ、これがそうだよなと誰かの一歩に繋がる記事になればと酔っ払いながら思ってます。

コメント

  1. アバターhitsujisuke より:

    本当にいろいろな知識が豊富
    酔っぱらいながらとは思えない
    やりたいことをやる覚悟は心底難しい

    この3点です!!

タイトルとURLをコピーしました