善意の誤算

N島

これも私の経験だけれども、善意なのか心配なのか分からないですが・・・

それは善意の押し付けなんじゃないかと思った事がいくつかあります。

そして、その善意を押し付けられた人はどう思うか?

これはそのままストレスになります。

何が正しいかは、本人が何を信じるかに拠りますので、今回の記事はあくまで私N島が感じた事と受け取っていただき、こういう考え方もあるんだと思っていただければと思います。

具体例で二つあります。

1つは、Oさんという90歳女性の話です。

私の母は飲食店を営業しており、今から20年前の私が大学生の時は大繁盛しておりました。

お客さんがたくさん毎日来ていたのを覚えております。

その時の事です、人は賑やかなところに惹かれる部分もありますので、お客さんが毎日たくさん来ている母のお店に90歳のおばあちゃんが毎日飲みに来ました。

90歳を超えているにも関わらず、母の店で毎日大瓶のビールを3本空け、カラオケを大声量で歌う神奈川のがばいばあちゃんと言っても過言ではないお婆さんでした。

帰り際はべろべろで母が近所のおばあさん宅まで何度も送って行ったのを覚えています。

そんな生活を2年も続けた頃、このOさんというお婆さんのお子さん二人が、もう高齢なOさんが一人暮らしで毎日飲み歩いていることを心配し始めました。

ただ、私は穿った人間なので、この心配は本当にお婆さんの身を心配してのものなのか、自分達の大義名分的な心配なのか、自宅で孤独死していたりしたらその後の処理が面倒という心配なのか、どの心配なんだろうなんて思っていました。

そして嫌がるこのOさんを家族旅行だよなんて形で連れ出し、その帰りに騙し討ちのように無理矢理老人ホームに押し込んでしまったのです。

何か月我慢すれば出れるよなどと嘘を言いながら。

実際にこのお子さんたちは善意だったかもしれません。

これで何かあっても、すぐに救護の手が伸びると。

自分達は嫡子としてちゃんと役割を全うしたというような満足感もあったかもしれません。

そして、それは客観的には非難すべきことでもなく、むしろ称賛するような内容に思えます。

ただ、Oさんからしたらどうでしょう。

もう残された時間もそれほどあるわけではないのに、急に自由を奪われる事。

息吸って吐いて、食事して排泄しているだけの状態は生きている状態と言えないと私は思っています。

もし、それあ生きているなら脳死した人間も酸素ボンベと点滴で毎日元気に生きています。

でも私だったらそれは死んでいるから家族の負担を考えれば速攻酸素ボンベと点滴チューブを引き抜いてほしいです。

おそらくこのOさん、相当な抵抗をしたようで本当に老人ホームに行くことが嫌だったようです。

毎日自由にビールを飲んで、みんなでワイワイと歌う。

それが楽しかったのに、ある日突然、自由を奪われ好きな事ができないストレスを味わうことになりました。

結果どうなったか?

老人ホーム前日まで母の店でビール飲んでカラオケ歌ってピンピンしていたOさんは、老人ホーム入所後約一か月で亡くなりました。

自然死らしいですが、考えさせられます。

結果論ですが、毎日楽しく飲んでいればそのタイミングで病気でもないのに亡くならなかったんじゃないかという疑問が私にありました。

楽しくない事、ストレスを感じた事、それがOさんの生きる気力を根こそぎ持っていたのではないかとうっすら感じました。

そして、ストレスが人を殺すと確信した事があります。

それが二つ目のお話です。

これは私が中学生の頃の友人で、結婚式のスピーチをさせていただいた友人の話です。

もう同い年なのに娘は今年高校生になってもおかしくはありません。

彼のお父さんの話です。

この友人のおとうさんのSさんは横浜市の福祉事業部に勤めていて、公務員は堅いなどと言いながら、行くといつもゲームしているようなお友達のようなお父さんでした。

よくよく考えると私に麻雀を教えた悪い公務員なんじゃないかと思えてきましたが。

友人宅に行くたびに友達のような感覚で、一緒にパチンコ打ったりとよく遊んだと言う記憶が残っています。

ところが、丁度10年前くらいでしょうか。

この友人の母と、Sさんと友人母と血のつながっていない義理の母と家を買って同居することになりました。

Sさんの奥さんと、奥さんのお母さんは仲も良く好き放題やっておりました。

ですがSさんは男手一つの空気の読めるできた人だったのです。

そのため、相当ストレスが溜まっていたのでしょう。

このSさん癌になってしまいました。

そして、高額な海外の抗がん剤などを飲んでいたのですが、ある日私が久しぶりに友人とSさんの家を訪ねた時の事です。

病気だからとずっと大好きなゲームも禁じられていたSさんと私と私の友人で久しぶりに3人麻雀、サンマーをすることになりました。

ずっと、あれやったら駄目、これやったら駄目と言われていたSさんは麻雀をしていて物凄く楽しそうでした。

そして何半荘(何回と考えていただいて結構です。)かやったころ、たまたまSさんの奥さんが部屋に入ってくるなり、病気のSさんの身体が疲れるからすぐやめなさいと麻雀が中止になりました。

酷く落胆した顔のSさんを今でも忘れられません。

おそらく奥さんは善意でしょう。

でも、人は強制させられたりするとストレスを感じます。

そしてストレスが人を病気にしたり、突然死のような物をもたらせる。

結果、この麻雀をした後、数か月後の事でした。

このSさんが職場で倒れて、救急車で搬送されます。

そして、医師の診断が余命3か月。

そうか、お見舞い行かなきゃなと思ったのを今でも忘れられません。

ところが、Sさんはこの日のうちに亡くなってしまいました。

その訃報を聞いたとき、Oさんの事を思い出しました。

おそらくSさんは楽しくなかったんだろうなと思ったのです。

毎日行動を制限され、好きな事をしている時も他者の善意の押し付けでそれができない。

これはかなりストレスになると思います。

そこで思ったのです、私に限られず皆やらされることは嫌いでストレスになります。

そして過度なストレスは人を殺します。

だからこそ、我慢を止めましょう。

東電の過労死した東大生の女性もストレスで事件になりました。

適度なストレスは成長のためには必要かもしれません。

けれども過度なストレスを感じながらの生活を守るくらいなら、ノンストレスによる生き方を目指せばいいのではないかと思います。

我慢してずっと会社にしがみつく理由などないのではないでしょうか。

サラリーマンしている私には説得力ありませんが。

そんな締めくくりとして、是非一読して欲しい転職の話をリンクに張り、記事を締めくくらせていただきます。

おすすめです。

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