袈裟の色を見るには色盲で丁度いい

N島

坊主憎けりゃ袈裟まで憎しという言葉を聞いたこともある方も多いと思います。

意味合いはその人(物)を憎むあまり、それに関わるすべてのものが憎くなることのたとえとなります。

坊さんを憎いと思うと、その坊さんが着ている袈裟までが憎らしくなることの故事で、「袈裟」とは、僧侶が左肩から右脇下にかけてまとう布状の衣装のことを指します。

僧侶が「憎い」対象となっているのは、江戸時代の寺請制度が背景にあるとされていまして、「寺請制度」とは江戸幕府が宗教統制の一環として設けた制度のことで、僧侶を通じた民衆管理が法制化され、事実上の幕府の出先機関の役所となったことに拠ります。

そのため本来の宗教活動がおろそかとなり、また汚職の温床にもなったことから、僧侶を憎む人々も多かったといわれてできた言葉になります。

そして、この袈裟ですが僧侶の階級によって色が分かれています。

紫が最上級だと思っていましたが、緋色なのですね。

さて、と言う事はです。

この知識があると、緋色の袈裟を来たお坊さんを見た時に我々はどう思うでしょうか?

かなり徳の高い偉い方だと認識し、そう接すると思います。

ですが、これが剃髪した私が着ていたらどうでしょうか?

多分、これも同じように認識するのではないかと思います。

全くのド素人の私が頭丸めてさも当然と言うような顔で法衣の高い袈裟を着ていたら、大僧正と認識される可能性が高いのです。

実際は般若湯(お酒)を好むプロの酔っ払いで、ギャンブラーで、サラリーマンという凡人を極めた人間だったとしても。

似たような内容に馬子にも衣裳という言葉があります。

馬子にも衣装とは、どんな人間でも身なりを整えれば立派に見えることのたとえ話です。

これも着用する服で見る側の認識が変わると言う話ですね。

そして、これまた同様の話ですが、私が中学生の頃の国語の教科書に作家菊池寛の「形」という話が記載されておりました。

あらすじを下記に記載したいと思います。

(あらすじ)

摂津(せっつ)半国の主であった松山新介の侍大将中村新兵衛は、五畿内中国に聞こえた大豪の士でした。

そのころ、畿内を分領していた筒井(つつい)、松永、荒木、和田、別所など大名小名の手の者で、『鎗中村(やりなかむら)』を知らぬ者は、おそらく一人もなかったでしょう。

それほど、新兵衛はしごき出す三間柄えの大身の鎗の鋒先(ほこさき)で、さきがけ殿(しんがり)の功名を重ねていました。

そのうえ、彼の武者姿は戦場において、水ぎわ立ったはなやかさを示していた。火のような猩々緋(しょうじょうひ)の服折を着て、唐冠纓金えいきんの兜かぶとをかぶった彼の姿は、敵味方の間に、輝くばかりのあざやかさをもっていました。

「ああ猩々緋よ唐冠よ」と敵の雑兵は、新兵衛の鎗先を避けました。

味方がくずれ立ったとき、激浪の中に立つ巌のように敵勢をささえている猩々緋の姿は、どれほど味方にとってたのもしいものであったかわかりませんでした。

また嵐のように敵陣に殺到するとき、その先頭に輝いている唐冠の兜は、敵にとってどれほどの脅威であるかわかりませんでした。

こうして鎗中村の猩々緋と唐冠の兜は、戦場の華はなであり敵に対する脅威であり味方にとっては信頼の的となっておりました。

ある日、「新兵衛どの、おり入ってお願いがある」と元服してからまだ間もないらしい美男の士(さむらい)は、新兵衛の前に手を突きました。

「なにごとじゃ、そなたとわれらの間に、さような辞儀はいらぬぞ。望みというを、はよういうてみい」と育ぐくむような慈顔をもって、新兵衛は相手を見ました。

その若い士(さむらい)は、新兵衛の主君松山新介の側腹の子でした。

そして、幼少のころから、新兵衛が守り役として、わが子のようにいつくしみ育ててきた侍でした。

「ほかのことでもおりない。明日はわれらの初陣(ういじん)じゃほどに、なんぞはなばなしい手柄をしてみたい。ついてはお身さまの猩々緋と唐冠の兜を借してたもらぬか。あの服折と兜とを着て、敵の眼をおどろかしてみとうござる」

「ハハハハ念もないことじゃ」新兵衛は高らかに笑いました。

新兵衛は、相手の子供らしい無邪気な功名心をこころよく受け入れました。

「が、申しておく、あの服折や兜は、申さば中村新兵衛の形じゃわ。そなたが、あの品々を身に着けるうえは、われらほどの肝魂(きもたま)を持たいではかなわぬことぞ」と言いながら、新兵衛はまた高らかに笑いました。

 
そのあくる日、摂津平野の一角で、松山勢は、大和の筒井順慶の兵と鎬(しのぎ)をけずっていました。

戦いが始まる前いつものように猩々緋の武者が唐冠の兜を朝日に輝かしながら、敵勢を尻目にかけて、大きく輪乗りをしたかと思うと、駒こまの頭を立てなおして、一気に敵陣に乗り入りました。

吹き分けられるように、敵陣の一角が乱れたところを、猩々緋の武者は鎗をつけたかと思うと、早くも三、四人の端武者を、突き伏せて、またゆうゆうと味方の陣へ引き返しました。

その日に限って、黒皮縅おどしの冑よろいを着て、南蛮鉄の兜をかぶっていた中村新兵衛は、会心の微笑を含みながら、猩々緋の武者のはなばなしい武者ぶりをながめておりました。

そして自分の形だけすらこれほどの力をもっているということに、かなり大きい誇りを感じておりました。

彼は二番鎗は、自分が合わそうと思ったので、駒を乗り出すと、一文字に敵陣に殺到しました。

ところが、猩々緋の武者の前には、戦わずして浮き足立った敵陣が、中村新兵衛の前には、ビクともしませんでした。

そのうえに彼らは猩々緋の『鎗中村』に突きみだされたうらみを、この黒皮縅の武者の上に復讐せんとして、たけり立っておりました。

新兵衛は、いつもとは、勝手が違っていることに気がつきます。

いつもは虎に向かっている羊のような怖気おじけが、敵にありました。

彼らは狼狽(うろたえ)血迷うところを突き伏せるのに、なんの雑作もありませんでした。

しかし今日は、彼らは戦いをする時のように、勇み立っておりました。

どの雑兵もどの雑兵も十二分の力を新兵衛に対し発揮しました。

二、三人突き伏せることさえ容易ではありませんでした。

敵の鎗の鋒先が、ともすれば身をかすります。

新兵衛は必死の力を振るいました。

平素の二倍もの力さえ振るいました。

が、彼はともすれば突き負けそうになりました。

手軽に兜や猩々緋を借したことを、後悔するような感じが頭の中をかすめたときでした。

敵の突き出した鎗が、縅の裏をかいて彼の脾腹ひばらを貫いておりました。

(ここまで)

大切なのは《中身》であって《形》ではありません。

猩々緋に唐冠という《形》自体には、戦闘力はありません。

しかし人間は本質ではなく《形》しか見えないものです。

思い込みによって怖気づくこともあれば、奮い立つこともあります。

人間心理の妙を、端的に描いている作品だと思います。
 
新兵衛は強いけど、「槍中村」の名声による底上げ分を自分の実力と思い込んだところに悲劇があります。

まるで大企業の社員が、仕事の成功を自分の実力と勘違いするようにです。

いい気になって独立してから、個人の実力は大したことなかったと気付かされるパターンかもしれません。

袈裟も形です、馬子の衣装も形です、そしてこの猩々緋に唐冠も形です。

名刺の肩書も形かもしれません。

私は父が他界した後、父の飲食店を母に引き継がせました。

その際にカラオケ屋さんと交渉することになります。

カラオケ屋さんは小さな飲食店が相手のため、かなり高圧的で自己都合の契約を押し付けてきますので、私はおかしいと思い、その会社の社長と話をすることになりました。

先方の社長からすればひよっこの私が出てきて、ちょろいと思ったのでしょう。

落としどころとかも考えず、できないの一点張りの0回答でした。

私は営業として0回答はしないというポリシーを持って仕事しておりますので、この社長の本質に客のためにという理念がないと思いました。

なので、交渉決裂だなと思い、お引き取りいただく事になったのです。

その際に、この社長がぽろりと「私が来たのに」と言いました。

そして、その後に「私が来たのにご希望に添えず申し訳ない」と言い直しました。

こちらこそ貴重なお時間いただきましてありがとうございますと返しておきましたが・・・

その瞬間、私はこの会社と絶対に解約しようと決心しました。

というのも、普通の人は社長という肩書、その形にある程度の敬意を払う物のようです。

ただ、つくづく私はサラリーマン向いていないなと思うのですが、形や肩書は意味がないと思ってしまうのです。

本質的にその人の実力や能力や考え方はどうなのか。

肩書という形に頼る人を足りないと思ってしまうのです。

でも、そういった「形」に効果がある事もまた事実ですので、自分の見せ方としての「形」は大事だと思います。

ですが、自分の見せ方は「形」を意識したとしても、人の見方は今までどおり本質だけでいいのではないかと思っております。

最近気づいたのですが、私の人見方が普通ではなく、普通は形や肩書から入るモノなのだなと薄っすら感じております。

これまた最近ヤフーニュースに載っていた記事がありました。

いつかリンクが切れてしまうと思いますが一応リンクを貼っておきます。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190712-00000002-binsiderl-bus_all&p=1

この方は慶応大学を卒業し、その後メガバンクに就職しますが、それを退職し、昆虫を食べるビジネスを立ち上げたそうです。

昆虫食ビジネスとはなかなか抵抗がありますが、その際のコメントでこれまた似たようなコメントがありました。

それが下記です。

(以下原文)

2~3年前に所属を隠して昆虫食のことだけを話していた時期は、本当にバカにするような目で見られた。

それをやめて『慶應卒業生で……』と話し始めるだけで、未来のことを考えてるんだね、みたいに、面白いくらい人の反応は変わる。でも、そういうことなんだな、って。

(ここまで)

そう、多分そういう事なのです。

ブランドと言うか形、これも本質を突いた話で、この慶応大卒の方も本質で物事を見ていたが、自分以外はそうじゃないと気づいた瞬間なのではないでしょうか。

そして、これまたまた私の前職の話です。

私は前職のパチンコメーカーで営業になった時の話です。

元々そのメーカーは技術者として自社製品の設置や、メンテナンスを行いそこで客先との折衝などを認められると、営業になると言うシステムでした。

私は当時結構必死で、一度目のブラック企業で失敗した以上、書籍も大量に読み、もう仕事ができない私であるわけにはいきませんでした。

人の認識を変えるのは物凄く時間がかかり大変ですから、最初からスタートダッシュを決めて、仕事ができる人間を演じ続ける必要がありました。

とは言え、演じるとかはあまり得意ではないので、結果を出し続ける必要があったと言えます。

そのため、結果を出すために細かく必死に小煩く仕事のチェックをしていたと思います。

完璧でも足りない。

そんな意識でやっていたため、私と仕事する業者は嫌だったと思います。

他の技術者ならもっと温く、もっと楽なのに、私だと色々細かく注文を付けられるのですから。

ただ、私は完璧以上の仕事をして自分が勝手に指名されるクオリティの仕事を続けようと思っていたので妥協する気がありませんでした。

そのため、協力会社のひとつが私が営業ではないので仕事をくれるわけではないとまるで言う事聞いてくれませんでした。

ところが、ある日私がその業者に仕事を振っていた営業の代わりに営業になる事になり、そこに仕事を振っていた営業が営業を降ろされることになりました。

その最初の現場の事です。

引継ぎだったので不満もありましたが、私の依頼を現場でオールスルーしていた業者がその現場に入っており、私が様子見に行くと、社員全員でその言う事を聞かなかった社長と共に一斉にお疲れ様ですと異常なほど丁寧に挨拶されました。

私は何も変わっておりません。

肩書が技術者から営業に変わっただけです。

その瞬間過去の私の言う事何も聞かなかった業者が急に馬鹿丁寧にお見送りまでするようになったのです。

私は一切何も変わっていないにもかかわらずです。

そこでいい気持になる人もいるのでしょうが、私は逆にこの業者さんを信用できないと思いました。

人で物を見ているのではなく、形や肩書で態度を変えると言う事です。

社会人的にはそれが正しいのかもしれません。

ただ、私は逆に物凄く不快になりました。

けれども、私はそこでそういうことなんだなと学習はできませんでしたが。

不快さの記憶が残っております。

当然、それ以降この業者さんに私は一切仕事を出しませんでしたが、そういった肩書で態度を変えられる方なのでそういう対応がお好きな方々に仕事をもらっているようです。

何が正しいかは難しいところですが、形と肩書、自分の見せ方はそれを意識した方がいいと思います。

でも自分が人を見るときには着ている袈裟の色を見ないようにした方が良いのではないかと思います。

それこそ坊主の袈裟の色を見るには色盲でちょうどいい。

そのように感じます。

我らがモンスター営業T本さんも本質を見るタイプに見受けられます。

だからこそ、こちらも可能性を感じるのですが。

https://topeigyo.work/2019/07/02/人は本質をみない/

この記事でも似たような事を記載しておりますが、ちょっと今回とは違うかもしれません。

さて、最近インプットが少ないのでアウトプットのネタを探すのに四苦八苦しておりますが、誰かの挑戦しようという意欲になったり、参考になればと思います。

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