ハインリッヒシュリーマン

N島

トロイの木馬という名称は聞いたことがあると思います。

ちょっと前まではコンピューターウィルスの事を指す名前となっておりました。

トロイの木馬は、「好ましいまたは悪質ではないプログラム」であるかのように見せかけた悪意あるプログラムで、個人情報の取得などを目的とされております。

トロイの木馬は元々はギリシャ神話の話です。

トロイの木馬の話は古代ギリシアにおいて、ホメーロスの英雄叙事詩『イーリアス』、『オデュッセイア』のほか、『キュプリア』、『アイティオピス』、『イーリオスの陥落』などから成る一大叙事詩環の神話のひとつでした。

叙事詩(じょじし)とは、物事、出来事を記述する形の韻文であり、ある程度の長さを持つものです。

一般的には民族の英雄や神話、民族の歴史として語り伝える価値のある事件を出来事の物語として語り伝えるものをさします。

口承文芸として、吟遊詩人や語り部などが伝え、その民族の古い時代には次世代の教養の根幹を成したり、教育の主要部分となることもありました。

後世に書き残され、歴史資料に保存されることになったものが多いとされています。

日本で言えば琵琶法師の平家物語のようなものです。

平家物語 祇園精舎/岩佐鶴丈

これですね。 ※音声が出ますので注意してください。

こうやって吟遊詩人によって語られたトロイア戦争にトロイの木馬は出てきます。

トロイア戦争において、ギリシア勢の攻撃が手詰まりになってきたとき、オデュッセウスが木馬を作って人を潜ませ、それをイーリオス市内に運び込ませることを提案しました。

そして作られた木馬をイーリオス市内に運び込ませるためには、トロイア人に顔を知られていない者が1人で残り、敵を欺く必要がありました。

この役にはシノーンと言う兵士が立候補しました。

残りのギリシア勢は寝泊りしていた小屋を焼き払い、船で近くのテネドス島に移動することになりました。

10年続いていたされる戦争のある日

夜が明けると、トロイア人は、ギリシア人が消えうせ、後に木馬が残されていることに気がつきます。

ギリシア人が去って勝利がもたらされたと信じたトロイア人は、市内から出てきて木馬の周りに集まり、シノーンを発見することになります。

トロイア人たちはシノーンを拷問し、ギリシア人の行方や木馬の作られたいきさつを問いただしたが、シノーンは正しいことを言わず、「ギリシア人は逃げ去った。木馬はアテーナーの怒りを鎮めるために作ったものだ。そして、なぜこれほど巨大なのかといえば、この木馬がイーリオス城内に入ると、この戦争にギリシア人が負けると予言者カルカースに予言されたためである」としてトロイア人を欺き通しました。

欺かれたトロイア人たちは木馬を引いて市内に運び込みました。

その際に、ラーオコオーンとカッサンドラーが市民たちをいさめ、木馬に槍を投げつけました。

その直後、海から2匹の大蛇が現れ、ラーオコオーンとその二人の息子をくびり殺したため、市民たちは考えを変えます。

門は木馬を通すには狭かったので、壊して通しました。

そして、アテーナーの神殿に奉納します。

トロイア人はその後、市を挙げて戦勝の宴会を開き、人々が寝静まり、守衛さえも手薄になっていました。

それを好機と木馬からギリシャ兵のオデュッセウスたちが出てきました。

そして計画どおり松明でテネドス島のギリシア勢に合図を送り、彼らを引き入れます。

その後ギリシア勢はイーリオス市内をあばれまわりました。

酔って眠りこけていたトロイア人たちは反撃することができず、アイネイアースなどの例外を除いて討たれてしまった。

トロイアの王プリアモスもネオプトレモスに討たれ、ここにトロイアは滅亡しました。

この兵士が隠れていた木馬をトロイアの名前からトロイの木馬と言われております。

そしてこれは吟遊詩人によって語り継がれた叙事詩のため、架空の創作された神話だとずっと信じられてきました。

ところが、少年時代にこの神話を聞いた表題のハインリッヒシュリーマンはこの叙事詩の神話は実際にあったことだと直感的に確信します。

そうして、ハインリッヒシュリーマンは子供の時にトロイの木馬のトロイア遺跡を発掘する夢を持ちました。

この人物がなかなかの人です。

尊敬する人であげられてもおかしくはありません。

シュリーマンは今から約2百年前、1822年に貧しい牧師の息子として生まれ、9歳の時に母が亡くなり、その後父がスキャンダルに巻き込まれ牧師の仕事が停職となります。

そのため大学進学を諦め14歳から雑貨店でAM5時~23時の仕事につきます。

この過酷な仕事を5年続けた時にシュリーマンは吐血し職を失います。

そして新天地を求めて、船に乗りますがこの船が難破してしまいます。

ところがラッキーな事にオランダの領事の計らいで本来の船賃で行きたくても行けなかったアムステルダムに送ってもらう事ができます。

そこで仕事を見つけ、生活費を切り詰めながら習字の勉強と英語の勉強をします。

この勉強法も変わっており、英語の翻訳はせず音読と作文、そして先生に作文を訂正してもらいそれをさらに音読という勉強方法でした。

その半年後に同じ勉強法でフランス語、オランダ語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語を習得という恐ろしい言語能力を発揮します。

そして通訳で収入を増やし、今度はロシア語を同じ手法で勉強し、今度は教えらえる物がいないため独学で習得。

こうして語学を学んだあと、弟と音信不通になったためシュリーマンは渡米し、ゴールドラッシュの時にロスチャイルドと協業して銀行業を開設し、ゴールドラッシュで砂金を発掘しに来た発掘者たちに金融業をはじめ一気に財産を増やします。

リーバイスの他にシュリーマンもゴールドラッシュ江一攫千金を当てた人でした。

これも水をくむ話と水を引いてくる話と似ています。

ゴールドラッシュで山を掘る人は水を汲みに行っていますが、それらの人にお金を貸したり、ジーパンを売るビジネスは勝手に売れる状況になっておりますから水を水源から引いてきているなと。

そしてその後はロシア語ができたため、クリミア戦争が起きた時にロシア軍の物資の輸送でまた財産を増やしますが、火災にあってすべての財産を失います。

だから火災保険が生まれたのかもしれません。

ところが、たまたまシュリーマンの物資は倉庫に入らなかったため無事でした。

そのため高値で売れてシュリーマンはもうビジネスをする必要がなくなります。

そうなった後に、シュリーマンはオリジナルの手法でポーランド語とスウェーデン語を習得

いよいよ子供のころの夢だったトロイの遺跡を発掘するためにギリシア語を学びます。

これを習得すると、互角は一緒だと古代ギリシア語をいつもの手法で学びます

そしてそれを習得すると、トロイ遺跡発掘の目的達成の前に世界旅行に行きます。

1864年の事です。

日本にもシュリーマンは来ており、そのとき丁度幕府の長州征伐の軍隊を見たとシュリーマンのシナと日本という著書に記載されています。

幕末に海外の人が日本旅行です、この行動一つとってもなかなかの人物だと私は思います。

そしていよいよトロイの遺跡発掘のためエーゲ海を訪れたシュリーマンは叙事詩の描写を思い出し、地形を調べ続けます。

地形を調べたシュリーマンは叙事詩の内容からここだと決めたポイントで発掘をはじめ、見事神話の滅んだトロイアの都市を掘り当てることに成功しました。

子供の頃からの夢をかなえるために、言語習得、ビジネスすべてを目的のために行動できたのがハインリッヒシュリーマンです。

さて、どうしたいにたいしての行動、起こせているかと思うと私は牛歩です。

ただ、少しでも進んでいるので、いつか金脈を掘り当ててやりたい。

そう思っております。

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