ふと思ったのですが、世の中ドラゴンクエストのようなRPGゲームのように、人は勇者か村人かで振り分けられるのではないかと思いました。
というのも、自分自身を含めた経験上、魔物に勝たないと先に進めないからです。
その強大な魔物の名前は・・・・
「面倒くさい」と言います。
この「面倒くさい」って魔物は自分の心に巣食うラスボスで、倒しても倒しても何度でも復活しますし、何もさせないためにありとあらゆる強大な力で足かせを自分にかけてきます。
この魔物に立ち向かう勇者になり、これを倒さないと先に進めません。
最大の敵は己と言うように、この最強のモンスターは自分の心にいるため、メンタルで自分に勝たないと負けてしまい何もしない、つまりは時間の浪費を選択してしまいます。
コマンドで言うと・・・・
面倒くさいがあらわれた!!
どうする?
戦う
逃げる(何も望まない)
防御
道具
選択しない(時間の浪費)
ですが、最初からこの魔物に立ち向かわず村人として戦いを避ける方法もあります。
RPGゲームの村人のように、いつ何時その村に行っても同じような場所で同じような事しか言わない。
ここはレーベの村です。
この繰り返しを自分自身が容認できるか否か。
ただ、これが面白くないと思うのですよね、私は。
「おもしろきこともなき世をおもしろく」
とは幕末の高杉晋作の辞世の句ですが、なかなか本質を突いていると思うのです。
何もしなければ面白くもないこの世をどうやって面白く生きるか。
面白いとは重要で、モチベーションにもなりますし、ポジティブなメンタルになり発想も豊かになると思います。
ところがつまらないと、最強のラスボス「面倒くさい」に闇の力が注がれより強敵になります。
そのため、そもそもつまらないことしていては駄目なんじゃないかと思えてきます。
村人という役割を選ぶか、面倒くさいと戦う勇者になるか。
後者を選択しようと思っても普通は覚悟と勇気が足りない、それはそうですよね、だから村人なのです。
勇気のある者を勇者というのですから、覚悟と勇気をもって面倒くさいに立ち向かわないと、勇者を選択しない時点で村人確定です。
だから吉幾三の歌詞のように「俺ら勇者さなるだ」と思って、「俺らこんな村嫌だ」と村人であり続ける事を否定するのであれば自分が面倒くさいと思う事をすぐに実行しませう。
そんなことをふと思わされました。
それにしても、面白いと思えない状態だと以前よりも行動にサイドブレーキがかかるような感覚になるのだなあと。
憎き「面倒くさい」を明日は会心の一撃でなぎ倒してやりたい。
そう思います。
コメント