何故組織か?

N島

さて、ちょっと前にT本さんと打ち合わせをしました。

次回の勉強会の活動報告で上げる予定と言いますか、既に共有フォルダにはアップ済みですが、新しいブログを作成しました。

アドレスはまだ上げませんが、記事がまだ一つなのでこれから増やしていきます。

ココナラでそれ用の似顔絵アイコンを依頼しましたし。

その中で私が短期的にすべき行動に気づかされました。

T本さんに話を聞いた最初は労力に合わない気がしていましたが、私は勝算がないと動けません。

数日スパに浸かり考えた結果、やるべきだと結論が出ました。

実はこの勝算がないと動けないというのは正しくなくて、動いているうちに判断情報が増えてよりいい情報や選択肢を得られるので、先に動いた方が正しいのです。

ただ、我々は勝算がない事をしないように教育を受けているので間違っていると思っていても、思考を教育に操られ自分で考えているようで、そう考えるように刷り込まれていてそれを選択してしまいます。

今日は自分のメインブログで記載した話をそのまま書こうと思います。

それがウォーレンバフェット氏の言葉

我々が歴史から学ぶべきなのは、人々が歴史から学ばないという事実だ

これです。

戦国時代もそうだけれども、武田信玄の武田氏は何故織田信長に負けたのでしょうか?

武田信玄自体は無敗だったが、結局天下は取れていません。

何故でしょうか?

そこが行動のスピードだと思います。

武田信玄は常に100%の勝算を求めた行動をしました。

丁度武田信玄が上洛を始めた時、三方ヶ原の戦いで徳川家康を打ち破ったタイミングでは必勝だったと思われます。

負けようがない完璧な状態でした。

政治的にも軍事的にもです。

徳川家康が小牧長久手の戦いで秀吉に勝ったのも、武田の遺臣の功績によるところが多いと私は思っています。

ただ、織田信長は100%ではなかったが行動のスピードが速く、結果的に武田信玄はタイムオーバーとなり、上洛したタイミングで病没しました。

そう、完璧を求めて遅いと目的を達成できないのです。

それは勝算を求める事と似ていないでしょうか?

こういった歴史があっても人は学ばないため、皆同じことを繰り返します、私もそういった他者の失敗を知っていても、自分事になると勝算を求めずにはいられません。

それ自体が間違っていたとしても。

最近購入した副業の本に高学歴体質と低学歴体質という話がありました。

高学歴体質は望む結果に対しての検証というか根拠を求めたくて、その調査で時間がかかりなかなか行動に取り掛かれないらしいです。

これってまさに武田信玄じゃかなかろうかと見た瞬間に思いました。

不敗ですし、必勝です。

でも目的を達成できませんでした。

それって、意味があるでしょうか?

ところが低学歴体質になると、結果を求めずすぐに行動に移すらしいです。

失敗も多いが、その失敗から学ぶことも多く、結果的に検証せずに行動した方がよくなる傾向にあるそうです。

昔ホリエモンが言っていた言葉で印象深い言葉があります。

それが、経営者の中には信じがたい馬鹿もいるそうです。

ただ、馬鹿は失敗したらどうしようとか勝算の計算をしないため、深く考えず行動を起こし、手数が多いからたまたま当たってしまう馬鹿もいると言う話です。

これって本質を突いていて、勝算なんか計算したら駄目なんだろうなと思わされます。

勿論、リスクがある事なら別ですが、リスクが大したことないなら行動し失敗すら学習にすればいいのですよね。

エジソンが失敗など存在しない、上手くいかない方法を一つ学んだだけだと言うように。

ところが、学校教育の弊害かもしれないが勝算がないとなかなか人は行動に移せません。

そもそも日本の学校教育は従順な一兵卒を作るための教育をしており、夢を求めている人がそれを叶える事ができない教育をしております。

その教育により、自分で考えない、もしくは自分で選択しているようで受けてきた教育に思考操られ、そう選択するように刷り込まれています。

だからこそ、結果を起点に自分の立ち位置を考え、自分の判断を疑えないとならないと思うのです。

そしてその教育によりそう考えるように刷り込まれた考え方が武田信玄となりトップにはなれない考え方なのです。

武田信玄は完璧な将でしたが、完璧じゃ駄目なんでしょうね。

代わりに初動が遅くなります。

でも、確かに勝算などを検証せずに行動をすると情報が入り、検証ができます。

百考は一行に如かずなんです。

やらない事には情報量不足は否めません。

私も、期待値がとか勝算がとか道筋が立たないと行動ができてませんでしたが、それをやめてみようと思っています。

ある種、勝算を考えると言うのは一般的には賢明に見えます。

けれども、賢明に見せようとする自分の見栄だったり、他人に対する賢明であろうと見せようとするパフォーマンス。

そんな自尊心は望みのためには捨てるべきかもしれません。

賢明な人に見られたい。

誰でもそういった承認欲求はあるものですが、望みの妨害になるのであればそんなものは捨て去るべきです。

チャレンジすることで世界をこじ開ける事ができるのであれば何でもやるべきではないでしょうか。

私は宇宙一ツイているためおかげさまで優秀な友人の縁に恵まれておりますがが、でも突き抜けるタイプはみかけません。

何故でしょうか?

それは、実際は不明ですが私同様、友人たちも本人が勝てると思う勝負しかしないからです。

でも勝てる勝負しかしないと小さくまとまる事になります。

少ない情報の中での判断を続けるのですから

私はギャンブラーなんだからBETできるなら張れるだけ張るべきです。

山師は当てるしかありません。

そう考えると、やはりT本さんには可能性を感じます。

本人が言う根拠のない自信もそうですが、スピード感が違いますし、勝算を考えているように思えません。

でも、その分畏怖を覚えるほどの成長力をT本さんは見せるため、可能性を感じます。

人は不足を補いあう事ですべてを80%こなせる超優秀な人よりいい結果を出せるのです。

私単体では営業で敵わない相手でも、私×優秀な誰か>私が営業で敵わない相手

これなら全部自分が受注できます。

組織である理由というのは不足を補い、完璧じゃない人同士が完璧な人を上回る結果を出すためです。

ある意味、私がまるでできない事でも、協力し合う組織でそれができる人がいれば私ができるのと変わりがありません。

なので、T本さんとの打ち合わせで私が新しく始めた事も、T本さんができる事は私ができると言い切っていいのです。

これって凄い事で、協力してくれる何かスキルを持っている人同士の組織はそこに所属している人のできる事は自分ができる事になるのです。

だからこそ、協力し合う組織を作るべきです。

自分が完璧である自信がないのであれば。

結果的に完璧なら個で十分だと思いますが、40年も生きると自分が完璧じゃないことは否が応でも思い知らされます。

だからこそ、人の手を借りる、協力を得る、そのための組織が必要です。

自分に不足があるからこそ、それを補うために人が重要なのです。

敵を知り、己を知れば百戦危うからずとは古代中国の軍師孫子の有名な言葉ですが、己を知る人は少ないということだと思います。

己の不足を知れば協力の重要性を理解できますし、何故組織が必要か、何故人にGIVEする必要があるかを理解できると思います。

過去にも書いた言葉ですが、再度ウォーレンバフェット氏の言葉を記載したいと思います。

100万ドルで愛が買えるならやすいものだ。

しかし、現実には、誰かに愛されたいと思ったら、愛されるべき人物に自分がなるしかない。

見返りを求めてしまうのは人間の性だが、あなたが何かを与えなければ、おそらく、あなたには何も与えられないだろう。

新約聖書における「与えよ、さらば与えられん」も同じだと個人的には思います。

これだけ過去に示されていても、人は歴史から学べないのですよね。

何故なら自分を疑えないし特別で自分だけは例外だと勘違いしている可能性があるからです。

人から得意と不得意を指摘してもらえる事はありがたいことで、その客観的事実は協力関係にある組織でないとなかなか指摘を得られません。

他人の事は見えても、本来特別である自分自身の事は見えにくい事だと思います。

そう考えても、不足があるなら組織が大事だなと私は思います。

コメント

  1. アバターhitsujisuke より:

    お!!すごい!!
    やっと宣言!!笑 いいましたね?
    いいましたよね??
    一緒にがんばりましょう!!

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