さて、今日は特にネタがなかったのだけれども、T本さんの記事を見てちょっと思ったのでそれをネタにします。
以前の記事の焼き直しになってしまうかもしれませんが、大体の事柄は「できる」か「できない」かじゃないのですよね。
「やりたいか」、「やりたくないか」と「やる」か「もっとやる」かの2択です。
できない理由を探している人ができるわけありません。
だってやらないための理由を探しているのですから。
理由があってできないと言うのは言い換えればやる気がないけれども、やる気がないと言ってしまうと見栄えが悪いので理由があってできないと言っているのにすぎません。
それだったら面倒だからやりませんと言ってくれた方がまだ可能性を感じます。
言い換えれば、面倒だと思わなければやるってことですから。
まあ、社会を円滑に進めるためには私のようにすべてを白黒でばっさりやってしまうと軋轢を生みますので、コミュニティに属しているうちは断る理由を仕方がない理由をぶつけるのはアリだと思いますし、事実を捻じ曲げるのでなければ、物事は自分と周りが都合がよくなるような、有利になるように言った方がいいです。
いわゆるポジショントークですね。
例えば、自分が必要な情報があって調べたとして、他の人もその情報が必要だと分ったとしましょう。
この場合、丁度自分も調べていたからと教えるよりも、~さんが調べていると聞いたから調べておいたよと言い方を一つ変えるだけで手間はほとんどなく、事実も実行もほぼ一緒なのに期待値(人の自分に対する信頼残高)を稼げます。
人に協力してもいいと思えるような信頼残高を高めるのは重要です。
私が前職でカリスマ営業だと思い、私に売り上げを何億も作ってくれた営業の方がいるのですが、この方から私も学んだことが多々あります。
この方は自分が何か行動を起こしたら絶対にプラスにならなければならないと言う信念を持っているようでした。
ある意味自分の時間の価値を理解しているとも言い換えられます。
学生時代に歴史の教科書で平安時代に地主のような存在、受領(ずりょう)を学んだと思います。
その格言の一つに
受領は倒るる所に土を掴め
意味合いは・・・・
受領は失敗しても空手 (からて) で帰るなの意味で、転んでもただでは起きない。平安時代の受領の貪欲さを示した言葉です。
転んだら、倒れたところにある土を掴んで帰るのです。
もしかしたら高校球児が負けて、転ぶと甲子園の土を持って帰るのは受領の名残かもしれません(笑)
そんな感じで、このカリスマ営業の方は何か行動をすると、そのやった行動を誰に何を伝えれば全員ハッピーになれてさらに自分の信頼残高を高める事ができるかを常に考えています。
確かにと思うのが、やったことは同じでも伝え方ひとつ違うだけで成果が変わるのですよね。
これって恐ろしい事で、人の社会においては一般的には実力よりも見せ方が重要を端的に表していると思います。
この方の口癖がN島さんのために~しときましたよとよく言われます
多分、いろんな方に言っているのでしょうが悪い気はしません。
ただ私は超左脳人間なので、私のために~しときましたよと言われてもよくよく考えるとそれ、私の為ではなくその方の為だよなと思うのですが、言い方が上手いなと感じます。
そう考えると、報告する技術と言いますか連絡する伝え方の技術って必要ですよね。
何しろ、事実は同じでもいい方を変えるだけで人の自分に対する信頼残高が変わるのですから。
事実は事実としてもその過程を自分の都合のよいように伝えましょう。
事実を捻じ曲げなければ嘘ではありません。
これは私がカリスマ営業に学んだテクニックの一つです。
折角同じだけ苦労して何かを成し遂げたのに、伝え方が下手なだけで結果が2分の1しか伝わらなかったら、報告をミスってやった事の2分の1の成果になってしまいます。
だからこそ、報告の仕方をどうすれば自分の信頼残高を高める言い方になるか、最後の詰めの部分は強く意識すべきだと思います。
画竜点睛を欠くは避けるべきです。
と話がずれてしまいましたが、できるかできないかのお話ですが・・・・
これまた以前に書いた上杉鷹山のお話で、為せば成る、為さねば成らぬ、何事も
成らぬは人の為さぬなりけり
要約すればやらないからできないのです。
そりゃそうです。
ランプからジーニーが出てくれば、やらなくてもできてしまうかもしれませんが、それでも願うくらいは「やらない」とできません。
ただ、やる気の問題で、自分でできなければお金を使ってでも他力を借りればいいのです。
どうすればできるかを突き詰めていけば、自分でできなきゃできる人の協力を得ればいいだけの話で、すべてを自己完結させようとしていたらそれまたできるわけありません。
もし、すべて自己完結できるほど優秀でしたら10代の後半とかにもう羨ましいと思えるような結果を出しているはずです。
自分ができないと分ったなら設計図を組みましょう。
船の設計図で自分がエンジンだったらプロペラが必要ならプロペラ役の方の協力を得る方法を探せばいいし、プロペラ役の人の協力を得られないのであれば、プロペラ役の人の協力を得られる人の協力を得ればいいのです。
自分でできなければ代わりを探すのです。
代わりの連鎖をしていけば、遠回りかもしれませんがいつか必ずできるはずです。
「六次の隔たり」という言葉を聞いたことはあるでしょうか。
これは、6人の友達に、友達を紹介していってもらうと、世界中のすべての人とつながることができるという理論です。
人は、1人につき平均で44人の知り合いがいるといわれています。
例えば、AさんとBさんが知り合って、Bさんに知り合いのCさんやDさんなど44人を紹介してもらいます。
その44人に、また44人ずつ知り合いを紹介してもらうということを6回繰り返します。計算式としてはこうなります。
44×44×44×44×44×44=7,256,313,856
世界の総人口は、約70億5,200万人と言われています。「六次の隔たり」の理論でいうと、世界中の人と十分つながることができるということになります。
なので、代理の人も辿って行けば6階層で誰とでも会えると言うわけですね。
ネズミ講も破綻するのは孫の孫で全員になってしまうからです。
おそらく最初の親以外理論上、子や孫は人口が足りません。
とまた話がずれてしまいましたが、できない理由があるならできない理由を一つずつ丁寧に潰していけば結果的にできてしまうと思うのです。
T本さんの記事に出てきた方は協力を得れていないのではないかと思うのと共に他の人が自分にできなかったことをできてしまうと強烈な自己否定になってしまいますので、他人に上手くいってもらっては困るのでしょう。
上手くいったら、才能があったとか若かったとか自分に今ない物を理由にするのでしょうけれども。
ない物を悲観するのではなく、ある物に感謝するとはメンタルの強い障害を持っている方の言葉です。
出来ない事に目を向けるよりできる事に目を向けたいですね。
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