ベクトル合わせ

N島

少々前置きが長くなる話です。

昨日、私が結婚のスピーチをさせていただいた友人と飲んできました。

中学生時代からの同級生ですが、学校やクラスが同じだったことはなく、塾で友達になった友人です。

よくよく考えれば、中学生から30代前半までコミュ障だった私の友人をよく続けていたなと彼の器量に今さらながら、感謝を感じます。

あたりが柔らかいのとやはり人としての面白味があるのですよね、奥さんにお小遣い制でぎちぎちに縛られているのに、結構会社の経済的に余裕のある独身男性がお金貸すと言って彼を一緒にパチンコに連れ出しているようです。

複数の人に数十万円借りている状態と聞いて、多分貸している側も返ってこなくていいと思って彼と一緒に遊びたくて誘っているんだろうなと感じたのですが。

そんな彼ですが、大学生までは最近で言う無敵な人の真逆でパーフェクトな人に近かったです。

勉強はしなくてもできて、スポーツもなんでもこなせ、ゲームも上手く、カラオケ、ボウリング、スポーツの知識、いつそれを学ぶ時間があったんだと疑問しかわかないようなくらいなんでもできた人です。

マナーの部分は目を瞑ると、学生時代は人と電話をしながらゲームしつつ、テレビ見て、ご飯食べるくらい1度に複数の事を常にしている人でした。

実はこの世の中、一つの事に尖ったプロの人よりも、なんでも満遍なく80%こなせる人を凄い人だとされる風潮にあります。

物凄く器用な人で、初めてやった事でもいきなり普通の人が相当の練習をしないとできないレベルでこなしてしまう人で、敵わないと思わされることは昔は多かったです。

今でも、何か新しい勝負事をはじめたら、私は彼に勝つには彼がかけた時間の何倍もかけないと無理だとは思いますが、最近では自分でできないことは自分でやってはならないと思っていますので、彼に敵うには彼より上手い人を探してぶつけるのが正しいのではないかと思います。

そんな優秀な彼なのですが、なんでもできてしまうため努力嫌いになってしまったのですよね。

面倒くさいと言う魔物と戦う勇者になろうとしません。

大体の事が上手くできてしまうため、努力をすると言う概念がないのですよね。

才能があると言うのでしょうか、ちょっと羨ましいですが。

ですが、昨日一緒にパチンコを打って、思った事があります。

日々、努力と言いますか、いろんな意味で期待値を稼いでいないと幸運(ヒキ)も弱くなっていくのではないかと思わされました。

昔の彼は物凄く運も強く、パチンコなどのギャンブルも強かったのですが、昨日一緒にパチンコを打った結果、過去の輝いていた彼の面影はなく、物凄くヒキが弱くなっていて驚きました。

そういえば、彼は占いで20代後半で人生の運の96%を使ってしまっていますとかでていたなと思い出しました。

逆に私は何もしなかった以前は物凄くヒキが弱く、嘘だろうと言うくらい、確率を超越して悪い方に偏っていました。

この違いは何かと思うと、純粋に日々期待値を稼いでいるかどうかなのではないかと思ったのです。

例えば、人と会う事、学ぶこと、純粋にギャンブルにおける期待値が高い行為を繰り返している事。

こういった期待値が高い行為の繰り返しが、営業における信頼残高のように幸運残高を積み増していくのではないかという仮説を最近持っております。

彼は特に野心的な物はないですし、人を否定するわけではないので、彼が何もしない事に疑問を持っているわけではないのですが、彼の家庭状況を考えた時に表題のネタを記載しようと思いました。

彼の奥さんですが、なかなかの美人でパチンコ店オーナーの娘ですので資産家の娘です。

ところが、美人の部分を長女と次女の妬みか何かでブスだと否定され続けてきた結果、ちょっと人格に難を抱えるようになってしまいました。

1年365日中360日怒っているそうです。

そのエネルギーが凄いなと思うのですが。

昨日の話だと小学6年生の息子がゲームとテレビが好きで禁止されると、お腹空いたと言うらしいのですが、それが奥さんを怒らせるみたいです。

ゲームとテレビやらないときだけご飯作れと言うのをやめろと言う事らしいのですが。

で、奥さんは息子に自分で勝手に作れと言って、息子が冷蔵庫から食べ物を取り出して食べると、勝手に冷蔵庫の物を使っていいと誰が言ったと言って怒るそうです。

ちょっとした笑い話ですが、そう考えた時に何故矛盾が起きるのかとふと思ったのです。

家族も一つの組織です。

会社もそうですが、人が集まればなんらかのコミュニティが生まれ組織になります。

組織があった時に、組織の目的と言いますか目標、ベクトルが存在すると思います。

例えば、この営業の会のベクトルはT本さんの理念に基づいております。

なのでその理念に共感する人がその理念のために行動を起こします。

で、家庭の話で考えた場合。

彼の家庭という組織のベクトルはどこに向いているのだろうかと思ったのです。

ベクトルがあっていれば協力し合ってそうしましょうとなると思います。

ところが、彼の奥さんは1年のうち360日に怒っているそうです。

そもそも、人はなぜ怒るのでしょうか?

実は、怒りの感情は生存本能によるものと言われております。

怒りは専門用語で「防衛感情」といわれていて、怒るのは自分自身を守るためとされています。

生き物には敵があらわれた時、襲ったりや逃げたりするためにアドレナリンを分泌させます。

このようにアドレナリンを分泌させることで体を緊張・興奮状態にするという特性があるのです。

この時、脳から体に下される命令が「怒り」です。

これは、生存本能に組み込まれたものなので、怒ることは絶対に無くすことができない感情なのだそうです。

ということは彼の奥さんは1年360日常に自己防衛をしていると言う事なのかもしれません。

何故、自己防衛する必要があるのかと言えば、おそらく自分の考えるゴールに向かって前進していないからなのではないかと思えます。

一般的に考えれば、家庭という組織の目的といいますか目標は家族が幸せであることだと思います。

そして、家族全員を幸せにしましょうと言うベクトルを合わせて生活をすればお互い協力し合う関係になると理論上は思います。

そうならないとしたら、どうなると家族が皆幸せなのかという話し合いと言いますか、決め事が必要な気がします。

奥さんが常に怒っていたら全員幸せではなく、その家族全員の幸せのために協力するという方向にベクトルが向いていない状態なのではないかと思うのですよね。

逆に言えば、家庭という組織の中でその組織全体ではなく、個人の幸福にベクトルが向いているとしたらなかなか協力関係は作れないと思えます。

家庭にしても、組織が各々違うベクトルで動いたらそりゃ引っ張り合いになって上手くいかないよなあと思わされます。

そう考えるとベクトルを合わせると言うのは組織において最も重要で最優先事項なのではないかと思わされるのです。

会社も上手くいっていない会社はベクトルがバラバラなのでしょうね。

例えば、経営者がこうしたいと思って方向性を出した際にその結果がどうなるか?

経営者だけが幸せになる状態であれば、当然社員のベクトルは同じ方向には向かないと思わされます。

組織の中のオールウィンという発想が根底にないとベクトルを合わせる事は難しいのではないでしょうか。

友人の家庭においても、彼はそのベクトルの引っ張り合いで疲労している部分もあり、新しい事を始める事で全員がハッピーになると言う認識が共有されその方向にベクトルが向けば彼の挑戦と家族の協力を得られるのかもしれません。

どんな組織でも共通の目標つくりとその話し合いの細密化

それが重要なのではないか。

なんとなく、そんなことを思わされました。

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