金持ち喧嘩せずとはよく言ったもの

N島

さて、今日は表題を痛感したので、個人的な内容ですが記事にします。

といっても大した内容ではないのですが・・・・

以前にも記載したかもしれませんが、実は今年の2月14日私の父が急に他界しまして・・・・

父が残した飲食店を相続することになりました。

それを今、母の名義で私が見ているのですが・・・・

急逝だったため、父から相続時にやっかいな契約状態になっていました。

契約書を交わさなくても、事実上の契約がみれればそれは認められてしまいます。

コンビニの売買で契約書を結ばないのと同じです。

その3店舗のうち、1店舗1人の従業員が父の店舗の設備を乗っ取ろうとして、不動産屋に掛け合ったり、建物のオーナーに掛け合ったり大暴れしていたのですよね。

お店自体も賃貸なので、オーナー側から私と解約させ、その従業員が不動産オーナーと契約を結べれば、晴れて従業員が設備ごと持っていけるという算段だったようです。

普通に考えれば、無謀な話なのですが、それしかないと人間は必死で筋違いでも押し切ればどうにかなると色々やっていたようです。

勝てば官軍というやつですね。

こちらのその意図は分かるので先回りして、先手先手を打っていて、ようやく訴訟でも負けない状態を作り出せたので、近日中に最終通告を弁護士さんからだす予定なのですが、元々他人の店舗を乗っ取りとか道理に外れた行為をしている時点で、いい結果にはならないと誰もが思うとは思うのですが・・・

でも、当事者の見ていた夢によってはそれを受け入れがたく、結果が完全に突き付けられるまで抗ってしまうのでしょうね。

そんな状態になると交渉にならないので、結果を見てからでは第二次世界大戦の終戦時、ポツダム宣言のように無条件降伏になってしまうのですが・・・

交渉はまだ手元に切れるカードがある時に行うものだと思えます。

それ以前に、物事の想定は必要で、結果を見てからでは交渉にならない事も多いのです。

なので普通は結果を見る前に、どうなるかを想定して交渉をするものです。

ですが、夢を見ていたり、自分に都合の良い嘘を自分と周囲につき続けると、いつの間にかそれが真実だと本気で自分自身に刷り込んでしまうようなのですよね。

私には考えられませんが、そういう人は結構存在しているようなのです。

でも、よくよく考えればその従業員は暴対法か何かで銀行のブラックリストに載っていて預金通帳を作れず、年金の支払いもしていない、定期収入のない四捨五入して齢70歳の糖尿病持ちの独身女性です。

私が貸し手だったら、特殊清掃が必要になったりするリスクと最後の数か月の家賃回収リスクを考え、不動産契約を怖くて結べないと思うのですが、夢を見ているとそんな当たり前や、自分が若かった時の市場価値からの暴落を認識できず、相手がどう考えるかとかが分からなくなるのでしょうね。

そうなんですよね、市場に出回っている物品と違い、自分の市場における値札はピークを迎えると年齢と共に下がっていきます。

老いは学ぶものだと最近思います、世間的な市場価値、身体的なできない事の増加。

老いを学べない人が勘違いをし続けて、大きな火傷するのだろうなと最近自分の老いを学んで思います。

もう私も不惑の年齢ですが、精神的な物は大学生の時から変わっていない感覚です。

それでも、セルフマネジメントできるようになっていたりと精神的にはどんどんより大人になっているのですが、感覚は学生の時からずっと変わっていない気がしています。

これも老いを学べていない事なのかもしれませんが。

でも、これは同年代の他の人も同じなのですよね。

と話は飛びましたが・・・・

近いうち見えている結果が確定するのですが・・・

結局、この従業員は自分の欲に基づいた自己主張をすることで、私からの信用と自分の立場を失う状況になっております。

私は弁護士を雇用し、その分の費用と時間と手間を失っています。

揉める事で、双方1両損になり、得したのは弁護士と、私が何度も菓子折りもっていった不動産屋くらいです。

金持ちが喧嘩せずと言うのは、自分が揉めると漁夫の利にしかならない事を完全に理解しているからだと思うのです。

揉めると、よりコストがかかる。

だから揉めない。

大体のもめ事は人の欲がもたらせます。

我欲を基準に行動すると、大体揉めることになりますし、信用も損ないます。

けれども、筋や信用を軸にすればそもそも揉めません。

筋や道理を通すことが一番社会生活においては重要なんじゃないかと私は思っております。

ただ、こちらが揉めたくなくても、相手が7つの大罪の一つgreed(強欲)を出すと揉めざるを得なくなり、双方ともに何かを失います。

回避できないもらい事故や事件・犯罪に巻き込まれるのに似ていますね。

注意していても回避できないような。

余談ですが、七つの大罪(seven deadly sins)は、キリスト教の西方教会、おもにカトリック教会における用語です。

ブラッドピットの有名な映画「SEVEN」が思い出されますが・・・・

高慢 pride

物欲 greed

嫉妬 envy

怒り wrath

色欲 lust

貪食 gluttony

怠惰 sloth

この7つを指します。

最期の罪、怠惰は何気にほぼ全員が犯している罪かもしれませんね。

時間を大事にしていなければ怠惰の一つでしょうし。

そうですよね、唯一平等である時間を不毛に使ったら・・・・・

生誕という奇跡的薄い確率を引き当てた、宝くじを仕留めたような強運を無駄にしていると言う事ですからね。

大罪だなと思えてしまいます。

また話が脱線しましたが、揉めると双方ともに何かを失います。

だからこそ、揉めないためにも軸を主観ではなく、筋や道理にした方が良いのではないかと私は思っています。

金持ち喧嘩せずは真実で、揉めて得する事はほぼないと言う事なのだと思います。

揉めると話し合って一歩ずつ譲り合うより譲歩を迫られる。

それを実体験しましたので、もめ事は誰かの漁夫の利であると常に頭に入れておきたいことですね。

時には戦わなきゃならない時もあるかとは思いますが。

でも可能なら戦わない。

吹っかけられてもかわす、流す。

それが大事なのかもしれません。

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