個人的な主観なのですが、いつも思う事があります。
それが表題で、自分の時間や他人の時間の価値をどう思っているかで、その人の社会的ステイタスって比例すると思います。
あくまで結果的にですが、極端な例ですが私がよく飲みに行く関内にはホームレスの人がいつも夜になると地下道に移動式ダンボールハウスを建築しています。
どう見ても、夏は暑く、冬は寒いです。
ただ、彼らは自分の時間に対して価値を見出しているとは思えず、時間がゆっくり流れていると言いますか、時間を有効活用しているとは思えません。
逆に、ウォーレンバフェット氏のようにチャリティでやっているバフェット氏とランチを一緒にできる権利は1回3億円です。
それでも毎年値段が上がっていき必ず売れます。
多分、長くても1時間半くらいだとは思いますし、バフェット氏はコーラとマクドナルドが主食なので、チャリティのランチでもおそらくマクドナルドに行っていると思われます。
そんなバフェット氏が無駄な時間を過ごしているわけがないと思うのです。
ということはです、どちらが先かは分かりませんが、社会的ステータスが上がると時間の価値認識が上がるのか、時間の価値認識が上がったため行動が変わり社会的ステイタスが上がるのかどちらかだと思います。
ただ、我々ができる事は自分が制御できる範囲内です。
だとしたら、社会的ステイタスは明日から急に自分で変える事ができませんので、できることは自分の時間の価値認識を上げる事です。
多分なのですが、学べば学ぶほど、何かを為そうとすればするほど時間が足りなくなります。
そうなると時間が惜しくなり、自分の時間に価値を高くつけるようになるのではないかと思うのです。
「人生は何事をもなさぬにはあまりに長いが何事かをなすにはあまりに短い」
とは作家中島敦の代表作『山月記』の中で、主人公が自分の挫折を自嘲していう言葉です。
よく長寿の方のインタビューで100年間どうでしたかと聞かれると、大体の方があっという間だったと答えております。
私も40年近く生きておりますが、あっという間で小学校2年生の頃の朝顔の鉢を自宅に持ち帰った夏休みの初日を昨日のように思い出せます。
そして、これまた主観ですが、時間は意志を持っているかのように、18歳くらいに照準を当てていて、それからそれていくと加速度的に時間に無視されているかのように時間が加速して過ぎ去っていきます。
20代でも早いなと思いましたが、30代になってからの加速っぷりは1年が一瞬です。
多分、40代になるとさらに加速するのだろうなと今から怯えています。
だからこそ、林先生ではないですが「今」が一番大事なのでしょう。
今すぐナウやらないことは、きっとやらない事です。
ただ、やるからには時間は有限でやれることに限りがあるのですから、今好きな事をしないと一生好きな事ができないと言う事になってしまいます。
T本さんが今私が在籍している会社を4か月で退社した時・・・
年収を考えても、正気を疑った物ですが、でも正しいのですよね。
T本さんは労働条件ではなく、その仕事がつまらないと言い切って年収100万以上下がる条件で転職しました。
家族持ちの人としては異常者と言っても過言ではないかもしれません。
けれども、一度しかない人生で人の決められた枠組みやルールの中で駒として生きても意味はないと思うのですよね。
絶対後悔するだろうなと。
そう、つまらない事などしている時間はないんですよね、本来。
それでも、経済活動家としての私がいるので収入は必要です。
ただ、面白くない事をすることほど時間の無駄遣いはなく、それこそ関内駅の段ボールハウスの住人と同じだよなと思ってしまいます。
個人的に人の幸福は前に進んでいるという自覚、前進感にあると思っております。
だからこそ停滞や後退は不幸の始まりです。
そもそも面白くない事をしていたら時間の浪費であり、停滞ですから不幸にあたると思うのですよね。
自分自身が前に進んでいると言う感覚、それを手にするためにも、常識や周囲の目などを気にせずに好きな事をして、自分の時間のプライスカードを自らあげていく事なんじゃないかと思うのです。
といっても私のように好きな事が見つからない場合もありますが、最近ようやく分かってきたのが、私も好きな事は独立して生きていく事なんだろうなと思います。
色々トライし、手数は打っています。
どれか一つ当たってくれればと思いますが、ホリエモンが言うように経営者にはたまたま偶然当たってしまった人は多いそうです。
違いは実際に実行するかそうじゃなかったかだけ。
だったら、ギャンブラーとしてすべきことは試行回数を増やすだけです。
そのためには時間が必要だよなあと、無駄な時間をより削減する方法を考えたいと思います。
コメント
150万ですね。正確には(笑)
最低限はほしいですけど、家族もいるので。ただそこで終わりたくない感情のほうがつよかったですかね、だれでもできる仕事をしたくないなとおもってしまったということです。
あとは私は飽きっぽいです(笑)