今日から、なれるかなれないか、成功するか成功しないかわかりませんが、経営者になるまでの道のりを書いていきたいとおもいます。
具体的に何を書くかというと、そもそも経営者って何を指すんだろうか・・・一つの会社を経営していれば経営者なのか?社員がいなくても経営者なのか?よくわかりませんが、今、私の目指す先は来年4月からの会社設立です!
N木♀さんいわく、会社設立自体はそんなに難しくないよ~というものの、そうは言ってもT本の能力の低さを侮ってはいけません。
T県No,1営業マンと自称していながらも、ワースト3に入るくらいの頭の悪さですからね・・
ただ、そんなT本も”努力をすれば天才を超えられるかものよ?”By孫悟空
ということで、本当に天才を超えられるか、肩を並べることができるのか、このブログに物語として綴っていこうかとおもいます。
まず、改めまして、T本の生まれてからの歴史を書いていこうとおもいます。
決して恵まれていたわけではなかったですが、あんまり話したことはないのでびっくりする人もいるとおもいます。
日本に生まれた時点でそもそも恵まれているわけで、さらには生まれた瞬間から両親がいて、食べ物があって家があって服があって、さらにいうと五体満足で生まれていることが、そうじゃない人よりも恵まれた環境なわけなので、そもそも幸せなわけです。
そして、今、結婚して家族がいて、家があって、何とか生活できるくらいの給料がもらえる仕事があって、人に恵まれていて、経営者に向けて道を進めている自分がいられることに、感謝しなくてはなりませんね。
今は31歳ですが、20代後半から特に人に感謝するようになりました。あんまり表に出さないですが(笑)
そんなT本ですが、T県のM市に生まれて3歳くらいで父親と母親が離婚。なので最初の父親の顔知らないです(笑)
その後、物心ついた4歳くらいには二人目の父親と住んでいたように思えます。まあ暴力親父でしたから、お尻に線香とかタバコとかあてられたのを覚えてますが、今ならまあ笑い話ですね!まだまだエピソードありますが、話過ぎると暗くなるのでやめときます。その時一番苦労したのは母親ですからね、守ってあげられなかった自分の無力さを感じます。
そんな二番目の親父と母親の間に双子が生まれたので、私と姉と双子の妹弟と4人兄弟です。ついこないだですが、20年ぶりに弟にも会いましたし、妹は数年ごとに会ってますので、とても立派になっています。私と比べ物にならないくらい。
2番目の親父と離婚した後に一番苦労したは双子の妹弟です。それでも立派な大人になっていたのは本人たちの努力のたまものだとおもいます。弟は早くも社員二人をかかえる経営者ですし、妹は4人を育てる立派なママになっています。今年中に飯でも食おうか、なんて話してますのでその時母親を連れていく約束するので、島田紳助の番組を思い出せますね(笑)
小学5年生から父親なしで、中学生からは3番目の内縁の父親みたいな感じが表れて今も一緒なので、それこそ一番長い父親ですね。といっても籍をいれたのが数年前なので戸籍上、父親が確定したのは数年前になります(笑)それが先日ブログで書いた酒飲んで目ん玉手術したアホな父親です(笑)
ろくな”親父たち”ではないですが特徴があります。
一人目:宗教系 二人目:暴力系 三人目:酒飲み浮気性 です。うちの母親どんなんやねん・・・まじで・・
小学生の時は、どうでしょうかね
N木♀さんはご存じだと思いますが、まあケンカばかりしてましたね、当時はケンカなんかすると、「だから父親がいない家庭は・・」なんてよく言われたものです。夢は経営者ではなく警察官です!残念ながら数回うけて落ちてしまいましたが
まあ今になれば落ちてよかったなと思います。お役所仕事はつまらなそうなんで。小学生の頃の趣味はアイススケートですね、教えてくれる人がいなくても、適当に滑っているおじさんとかから教えてもらって、まあ上手くなりましたよ。
イナバウアーはできませんが。きっと適当に滑っているおじさんは、人生をすべっていたのかもしれませんね。決して裕福ではなく、小学4年生になるまで、フローリングをみたことがないのです!!あとウィンナーのポークピッツも!3時のおやつはたしか梅干しでした。父親がいない時期があったりなかったりで中学生になるまでに引っ越した数は8回ほど。小学生ながら引越しの準備はお手の物です。友達が誕生日パーティーなんてやっているのは本当にうらやましかったですね!
中学生のときも どうでしょうかね
まあケンカばっかしてました(笑)というか正義感強すぎで不良とバトルしてしまうんですよね。父親が根付いていないのがあったので、教育者は基本的にうちのばあちゃんですね。ばあちゃんはしつこいくらい保証人になるなと聞かされたので、今でもそれは気をつけています。お金ないので保証人できませんがね。そのころから始めた趣味の将棋はいまでも続いています。
とにかく勉強が好きじゃなかったので、遊んでばっかりいましたし、ゲーム機なんて買うことができませんから、プレステ2が流行っていたときに、ニンテンドー64とかやってましたよ。一つふたつくらい遅れてゲームを楽しんでいました。夜中に起きてドラクエを朝まで進める楽しさは今でも忘れませんね。中学生で結婚ですよ。ドラクエ5の。
高校生のときは どうでしょうね
まあバイトばかりやってましたが、入学早々、トイレに呼び出されて7人くらいいたのを覚えています。サッカー部、野球部、バスケ部の肉体系です。私は運動苦手でしたから、足も遅いし力もないし、達者なのは口だけです。その口だけがよかったのか、絶対に負ける7対1のケンカを勝つことができました。
頭の悪い高校で、たしか当時の偏差値は37だと思います。頭は悪いのに校則だけは厳しくて、不良がロッカーを殴るだけで定額です。そして茶髪の生徒はその場で石鹸で現れてしまうという秀樹(悲劇)です。
そんな校則だったからこそ、必殺の”先生に呼び出したことをチクるぞ”と言ってやりました。
おとなしくなって散っていった不良をみたとき、まあなんと人間とは弱いものだとおもいました。そんなこともあり、高校に入学してからレスリングを習い始めました。本当は空手がよかったんですが、母親の紹介でレスリングを無料で教えてくれるサークルがあるということで、M越さんという私の中では父親のような存在の恩人に出会い、今でも総合格闘技チームに所属しています。
決して強くないので、まあ小学生6人に囲まれたら負けてしまうでしょう。きっと。
そんなこんなで大学生入学までは、勉強もしないでアルバイトを三つくらい掛け持ちでやっていました。お金に執着があったのはまちがいないとおもいますね、早く働いて自分のお金が欲しかったので。貯金は趣味だったので、半年で50万円ためて中型免許をとってバイク買ったのもおぼえています。
大学生のときは どうでしょうね
なんだかんだ偏差値の低い高校で努力したのもあって、指定校推薦で入学できたのがT大学、偏差値41です。ちょっと上がりましたよ!偏差値!素晴らしい!そもそも中学の時に英検5級と漢検5級を落ちた記憶があるので、しかも通っていた高校からは一人しか推薦とらないとかなんかブランドを感じてしまいましたが、所詮は名前を書いてお金を払えば入れる学校でした。今でもありますし意外と有名らしく、教授なんかはテレビに出ている人もいるとかいないとかで、関心することもあります。
私立なので入学金とか学費が高くて、さすがに収める金がないということで、銀行強盗でも・・・嘘です。
奨学金制度を利用して、4年間で500万円借りています。その前に実は新聞奨学制度というのがあって、大学入学2か月前くらいから新聞配達を住み込みで4年間することを条件に大学の費用を免除してくれるという制度に申し込んだことがありました。
ただ、私は先輩の家に同居するなんておもってもいなかったのと、その先輩が暴力のお節介野郎だったので、どうにも性格が合わず、1か月たたないうちに先輩と殴りあって辞めてやりました(笑)またケンカです。もうこりごり・・
新聞小学生をやめたこともあり、入学金の80万円を即返済しなくてはならず、私としても親に苦労をかけて申し訳なかったのですが、そこで登場したのが1番目の親父。話してはないけどもなんとか1番目の親父からお金を借りることができ、その80万円をコツコツ返すためにアルバイトをしていました。
波乱万丈の入学する前からの出来事でしたが、それから4年間はまっとうに遊び、アルバイトをして、警察官の試験も見事落ちて、適当に就職したのが、投資用ワンルームマンションの販売業です。
その内容はたしか、ブログにアップしていたと思うのでぜひ読んでみてください。
とまあ簡単に書くと、私は頭が悪いのは間違いないですが、働くことへの執着心というのは親の離婚とか、貧乏だったこととかは関係してそうですね!!記載した内容はほんの一部ですから、詳しく話すともしからしたら本ができるかもしれない・・
けども、私も貧乏ではあったものの、サンシャイン池崎にはかなわないなと思いました(笑)
どこにでも苦労しているひとはいるんだな~とおもいます。その苦労をばねに飛躍していきたいですね!
私が自由奔放なのも父親が根付いてなかったこともありそうです、実際3番目の父親はあだ名で呼んでいますし、感謝はしていますが、父親ですか?と聞かれても、素直にはい!とは言えない気もするので。
父親の存在って大きいですよね、自分の子供には苦労してほしいけど、変な苦労はさせたくないなと思いました。
今でも奨学金返済に追われていて、月々3万円の返済がなければどれだけ楽なことか・・・なるべくすべて現金で済ませたいけど家はローンで買ってしまった。お金の重要性はわかっているものの、経営者になりたのは、面白うそうだからだ!というのが本音です。たくさん稼ぎたいか?と聞かれたら、それは「はい」ですが、それが目的ではないです。生きるために、一度の人生を悔いなく楽しむためにお金が必要なだけですね。なのでいろんなことをしたいなとおもいます。
ということで、今日はT本の歴史のみでした!m(__)m
次回からは、経営者になるための努力、実際にやっていること、仕事、考え方など、「自分」をアップしていきたいとおもいます。
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