これを持っていると何をしても上手くいかないと思わされます。
それが疑う事かなと思えています。
私自身も他者には慎重で基本的には疑ってかかっており、鵜呑みにはせず行動と結果から物事を考えるようにしております。
けれども、やはり許容と信じる事は重要で、最初から疑ってかかりそれを行動にすると相手にも伝わります。
結果として、疑ってかかる自分が疑われ、猜疑心の応酬となり負のスパイラルが始まります。
そもそもグーグルなどの理念でひとつ思い当たる話がありました。
世界の大企業グーグルには、「疑うことはコストである」という価値観があることをご存知でしょうか。
グーグルで働いた経験がある人や経営者などが好んで話す価値観らしいですが、誰かが言っていることをいちいち疑い裏を取っていては、スピードが命の現代の経営環境では、それは命取りになるという考え方です。
マッキンゼーやNTTドコモ、リクルートや楽天などを経てグーグルでも働いたことがある尾原和啓氏は、その著書「どこでも誰とでも働ける 12の会社で学んだこれからの仕事と転職のルール」の中で、グーグルのこの価値観を「ハイパー性善説」と呼んでいます。
そう疑うだけ無駄が増えるので、疑う事はただのコストの垂れ流しです。
そうなった際に思うのが無駄な報告や資料作りです。
結局、社員の仕事や労働量を疑っているので、それを把握するために無駄な資料を作らせ、無駄な仕事をさせていて、本来の生産性の方向性を無駄にしているのです。
騙されるまでは、相手を信じて自分自身と自分の想いを託してみることが結果的にはプラスに働くということかなと思われます。
それは決してお人好しになれという意味ではなく、10人の人を疑い1人の人に騙される損失を回避できたとしても、9人の人から得られたであろう利益を失うほうがトータルで考えれば損だということなのです。
そう考えると不信社会が叫ばれて久しいですが、不信会社は無駄の連続と負のスパイラルに陥っているのだなと感じます。
疑うから無駄な資料つくりや仕事をさせ報告を求める。
結果として、人は本能的に時間こそが命その物であり、価値のあるものと認識しているため、無駄なことを「させられること」に対して物凄く不快感がある。
結果として、不快感がモチベーションを削り、最低限の仕事以上を避けるようになる。
こうして生産性が損なわれて、悪くなり、その結果を見てさらに疑い、もっとモチベーションを奪い生産性を損なわせている。
そう考えると、疑うと言うマインドは負のスパイラルなんだなと思わされます。
少ないリスクなら騙された方が得という事なのかもしれません。
そんなことをふと思いました。
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