私以外私じゃないの

N島

有名なゲスの極み乙女の曲のフレーズだったと思いますが・・・・

オレオレ詐欺犯に、息子の座を乗っ取られそうになった男子の話。そして僕――patoの「おっさんは二度死ぬ」<第41話> « 日刊SPA!
昭和は過ぎ、平成も終わり、時代はもう令和。かつて権勢を誇った“おっさん”は、もういない。かといって、エアポートで自撮りを投稿したり、ちょっと気持ちを込めて長いLINEを送ったり、港区ではしゃぐことも…

このSPAにて掲載されている「おっさんは二度死ぬ」の話が結構好きでリンクを張っておきます。

今日はちょっと文体を変えてみようと思う。

いつもはですます調だったけれども、ですますの仮面を脱ぎ捨ててメインブログのような文体で記載したいと思う。

私以外は私じゃない

何を当然の事をと思わされるかもしれない。

それこそ、太陽は東から登り、西に沈む。

それくらい当たり前かもしれない。

天才バカボンの歌詞で言えば、その日は朝から夜だった。

嘉門達夫氏の唄ではあるが、アンパンにはアンガはいっていて、ジャムパンにはジャムが入っている。

当たり前だ。

でも、ウグイスパンにはウグイスは入っていない。

これも当たり前だ。

だけれども立ち止まって考えて欲しい。

何故、ウグイスパンにウグイスが入っていない事が当たり前なのだろうか?

教育?

経験?

残酷だからと結果論のこじつけをつけることはできる。

でも、当たり前である事を証明はできない。

当たり前はあくまでも自分の認識なのだ。

だから、それは自分個人の狭い世界の中での当たり前であって日本語学びたての外国人から見たら意味不明だ。

なんでアンパンには餡が入っているのにウグイスパンにはウグイスは入っていないのか?

説明できるだろうか?

もしできると思うなら、コメント欄に一度ウグイスパンにウグイスが入っていない理由を書いてほしいと思ってしまう。

さて、その日は朝から夜だったと言う事象、それはどういうことか?

ありえない?

本当だろうか?

そう、私は認識の話が好きだ。

人が思う真実は、事実ではなく本人がどう認識したかだけだと思っている。

自分が朝起きたと思った時に、朝だと認識しているのに夜だったら、それはその本人にとっての事実であり、その日は朝起きたら朝から夜だったのだ。

自分以外の誰かはそれを否定するだろう。

今日も朝は来たから、朝から夜だったわけではなく、朝が来て夜が来たのだと。

でも、それを信じなければ、自分の認識が現実だと譲らなかったりすれば、本人にとっての事実はその人がそうだと認識した事象が事実になる。

世の中は誤解で成り立っている。

恋愛もそうだと言われているが、その通りで誤解はその人が事実を誤った認識をしていることで生じる。

だから、自分に起きる結果は選択ができるのだ。

選べる。

そう、自分に起きるすべての結果は自分で選択ができるのだ。

だからこそ、自分に都合の良い結果だけを拾い集めた方が良い。

一つの事象をアンラッキーと捉えるのか、ラッキーと捉えるのか。

エジソンの言葉を借りれば、失敗など存在しない。

あるのは上手くいかない方法の学習だけだと。

失敗と受け止めるか、上手くいかない方法の一つを学んだと思うのか。

それも選ぶことができる。

つまりは認識だ。

事実は認識で決まる。

だからこそ、私は自殺を選択する人をまったくもって理解できない。

ギャンブラーとして、生誕というこれほど薄い確率を引き当てるほどラッキーなのに何故自らを滅する方向にもっていくのか?

人はいつか必ず、死ぬのだから急ぐ必要はない。

織田信長の好きな小唄の一つで死のうは一定

誰も避けられない結果なのだから、その幸運を享受できる間をどう生きるか。

それが一番大事で、ラッキーなのに自らの死期を早める必要などあるだろうかと思うのだ。

これも認識の話で、ラッキーと思うか地獄と思うか。

以前に斎藤一人氏の書籍の話を記載したが、この世は天国なのだ。

ショッピングモールに行けば、美味いものがあり、綺麗な服も便利な物も置いてある。

そして欲しければお金を出せば手にできるのだ。

これを天国と言わずして何が天国かと。

天国を当たり前の普通と認識したら普通であり、これも認識の話に通じる。

とここまで酒に酔いながら持論を展開したところで表題を書こうと思う。

認識の話をした後なので、再度記載するけれども、私以外私じゃない。

当然だと思う。

けれども、本当だろうか?

そう思っているだけで、実際は私以外の私が存在しているかもしれない。

それこそパラレルワールドという概念を持っていれば私以外の私も存在しているだろう。

ということはだ、何を信じるかが自分の見える世界を決める。

そして自分が見える世界が自分が認識する世界だ。

つまり、自分にとっての事実となる。

ということは自分が思う当然と言う概念は自分の認識だけであって、事実とは異なる可能性が高いのだ。

基本的に誤解と間違いが常に常態化している。

先日の記事でも記載したが、市場が効率的で合理的であれば、バフェット氏ですら物乞いになっていると本人が言っているのだ。

言い換えれば、大体自分も間違っているのだ。

だからこそ過ちに気づくために結果を起点に考えるべきなのだ。

何故今自分がこの状態なのか?

そして何故同じ結果を繰り返しているのか?

その答えは簡単で、結果に否定されて間違っていると結果に教えられているにも関わらず考え方や行動を変えないからだ。

過ちて過ちに気づけずなのだ。

大人は本人にとってデメリットしかないので、人の過ちを指摘してはくれない。

自分で気づき改善するしかない。

とジンビームハイボールが美味すぎて余談が長くなったけれども本題を書こうと思う。

まだ本題じゃないのかよと突っ込まれそうだが、私以外の私がそうしろと言っているのでそうなのだ。

と適当な事を記載したくて仕方がない。

酒飲んで適当にまみれたい。

適当な発言を極めたい。

かつての日本競馬の最強馬シンボリルドルフのポスターのフレーズをパクりたい。

勝ち方を極めたいと言うコピーにその馬を知っていると背中が震える。

そんなわけで、私はオフは適当を極めたい

じゅんさんぽの高田純次超えを目標としたいとか言いたくなるが。

溢れんばかりの適当の海を泳ぎたいのだ。

と、そろそろ本当に本題を。

今日なんだけれども、やり手の歯科医に営業に行った。

いつもどおり、私のスタイルである紹介狙いに徹して他の営業や他業者にないプラスアルファの対応で東北の紹介案件を貰ってきた。

その間に10年前まで1医院しか運営していなかった現在4医院運営している理事長と話してきたのだけれども、面白かった。

この理事長売り上げも伸びており、セミナーを開けば一回5万も取るのに満員御礼になるほど力をつけた方なのだが面白い事を言っていた。

今でもそんな偉い立場なのに営業も行くらしいのだ。

思わずマジですか?と聞いてしまったのだが、ふんぞり返っているイメージの4医院の理事長が集患のために今でも営業に行っている事実に衝撃を受けた。

そして、言われて思ったのだ。

歯科医に営業に行くって概念なんかまったくないと。

ただ待ってるだけだと。

それを聞いて、思った。

営業活動をしていないサービスなんて存在しないと思っていたが、それは私の当然であって他の当然ではない。

私以外私じゃないと言われて、当たり前だと思うのと一緒なのだ。

もしかしたら違うかもしれない。

それなら歯科医専門の営業代行したら面白いんじゃないの?

そう思えてしまったのだ。

だったらやるべきかもしれない。

だって原価0

1万回失敗しても1万1回挑戦できる。

そして自己完結できる内容。

そうだよな・・・

私以外の私も存在しているかもしれないのだ。

自分の認識でしかない常識や当然を疑うべきなのだよな。

CtoCとBtoBの当たり前に気づかないのと同様に。

そんなことを思わされた。

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