なにやらリズムを取りたくなるような言葉が思い浮かびました。
そして、人の過ちから学べるのは幸せな事です。
正解と言う物は基本的に人生にはありませんが、おおよそ正しいはあるかと思います。
それが正の方向から見ての正しさと、誤っている方向からの過ちの否定の二つが同じ方向を指し示す時です。
そして、過ちに気づけない人々の恐怖を本日も感じました。
人は輪廻転生のように過ちループにハマってしまうと、自分の正しさを疑えない人間は死ぬまで同じループにハマリ前に進めません。
間違っていることに気づいても何を変えればいいか分からないパターンもあるかと思いますが。
ただ、先日のT本さんの契約の件で、私も絡んでいたので思った事があります。
正直、営業としてみてT本さんは優秀な営業です。
違いは細かいところなのですが、細かさの積み重ねの差がオリンピック選手と普通の人を分けると私は思っていますので、その違いに気づけないのも一流に気づけない凡人となってしまうのではないかと思います。
丁度先日、先生の思想は悪くなく、人間としても良いけれども経営難の先生をT本さんに紹介し、営業代行を提案しました。
私としては自分よりも結果を出せる人間を紹介したのでそのまま決まると思っていたら、人間追い詰められると正しい判断がとんどんできなくなるのですよね。
貧すれば鈍する、そして鈍すればより貧する。
より貧すればより鈍するのです。
そのループにハマってしまっていて、もう発想転換やパラダイムシフトが起きないと加速するブレーキの無いトロッコに乗っている状態になってしまいます。
いつかトロッコが走る線路の終点が来て最高速で壁に激突する。
確実にその時は近づいているのに、同じことを繰り返しながら違う結果が出る事を望んでしまう。
まさにアインシュタインの言う狂気だなと思います。
正直、私が自信をもって自分より営業できると紹介できる人間は今までに3人しかいません。
その一人がT本さんなのですが、そのT本さんが私が受けていはいけないと言うレベルの価格で見積もりを出したにもかかわらず、それをその先生は蹴ったのですよね。
その瞬間に、私はこの先生はもう必ずやってくる終焉に向かって加速し、ゲームで言うと終焉を回避することができないオールバッドエンドの選択肢をしてしまったなと感じました。
まさに貧鈍貧鈍の繰り返しだなあと。
そもそも普通の営業代行を雇う事のできない安価で出している価格で無料で2回も面談に来てくれるだけでペイされたようなもので、そこを疑う時点で相場も分かっていないし物凄くいい話でも疑ってしまって自ら終焉に向かってしまうのですよね。
助かろうとして、破滅するというのはギャンブルに限らないのだなと思わされました。
というよりも決断の速度の遅さは間違った判断よりも悪い結果になるとはよく聞く話ですが、これもまた同じなのだなと思わされました。
騙されまいとして疑う事で逆に騙されるよりも高いコストになるのだなと感じました。
最近、何かを示唆するかのように人が私が間違いを犯さないで済むように代わりに間違えてくれます。
私は小さいにリスクに関しては比較的受け入れようとしますが、逆に言えばこんな小さいリスクすら疑う事でチャンスを捨てる事もあるかと思えば、騙される許容範囲を決めておけばむしろ騙されるべきなのかもしれせん。
きっと騙されまいとして良い話も否定し同じループを繰り返し、最後また騙されちゃうんだろうなと思います。
不安に駆られている人と同じなんだなと思います。
不安を避けようとして自ら不安が現実になるように現実になるように考え、行動し、発言してしまう。
自らの過ちに気づけないので過去に何度も同じように結果に否定され、望まぬ結果を頂戴する。
裏切られると思いそれを避けよう避けようとして自ら人を裏切らせるように仕向ける行動を取ってしまう。
私も彼らから学ぶことはあると教えられているかもしれません。
何かを間違っているからループから抜け出せと言う。
そんなことを思わされました。
最近以前には考えられないほど明らかに間違っている人たちをよく目にするのですよね。
何かの天啓なのかと思わされます。
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