加速し続ける二極化と最後の審判

N島

さて、最近本当に小泉政権の時から始まった2極化が加速していると思います。

キリスト教の最後の審判ではありませんが、最後の審判(Last Judgement)とは宗教が共有する終末論的世界観であり、世界の終焉後に人間が生前の行いを審判され、天国か地獄行きかを決められるという信仰の事を指します。

日本でも閻魔様が浄玻璃鏡(じょうはりきょう)で生前の行いを見て天国行きか地獄行きかを判断すると言うあれですよね。

浄玻璃鏡とは、閻魔が亡者を裁くとき、善悪の見きわめに使用する地獄に存在するとされる鏡の事ですが。

で、最近思うのがすでに生きながらして最後の審判が日本で始まっている気がします。

もう、普通という概念は存在せずに完全に裁判で白黒つけられるように富裕層(天国)か貧困層(地獄)かの2択に迫られております。

少子高齢化と働き方改革と年金の破綻で、老後の収入は保障されず労働できるうちにアリとキリギリスの蟻のように蓄えと言うか、自動利益創出システムを自分で作っておかないとなりません。

まさに現代版の最後の審判は始まっており、判決は定年時に出るイメージです。

判決が出る前にインカムを安定化させ、 自分が労働できなくなっても自分の持ち物に自分を養わせる状態を作らないと地獄行です。

どう考えても、経済力は必要であり、手段であり、選択肢の増加であり、保険と言いますか自分を救うセーフティーネットです。

そのセーフティネットを作るためには人のネットワークが必要です。

その人のネットワークを作る方法ですが、この記事でも記載しましたが

テイカートギバー

人に何を協力できるか先に与える事です。

協力というのは非常に重要で自分の代理を複数持ちあうことになります。

自分一人で単体であれば時間は有限なので限界がありますが、自分の代わりが複数いればいくらでも目的のための行動が可能です。

過去の記事にも記載しましたが、鉄鋼王アンドリューカーネギーの墓石には自分より優れたる者の協力を得る術を知る者ここに眠るとあります。

他力の協力を得られない時点で既にゲームオーバーで最後の審判で地獄側に振られてしまいます。

問屋制家内工業という江戸時代後半くらいの話だったと思いますが、人が協力をしあって作業を分担することで効率化が進んだと言う話です。

ということは前提として人と協力をしないとお話にならない事になります。

常に誰と何を協力して上手くやるかを意識していないと無罪を主張しても最後の審判で強制有罪の貧困層行になってしまいます。

そんなわけでマッチングと提供可能な物を思考しております。

ぼんやりと形は見えてきましたがクリアな形にしないと重要なポイントでチャンスを逃す可能性が出てきてしまいます。

そんなわけで以前に流行したマインドツリーのようにセルフ相関図を作ってみて、どことどこなら組み合わせることが可能か可視化したいと思っております。

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